だらっと和田パン

話が跳んだり跳ねたり行ったり来たり。映画とか、システマとか、漫画とか。ネタバレあります。

大阪ザイコ振り返り

大阪のザイコセミナー。とても面白かったです。

 

ザイコのセミナーを言葉で捉えると結構意味わかんなくなることが多いんですが、実際に受けてみると説得力があり今までの認識がガラッと変わると思うので是非週末のセミナーに行ける方は行って欲しいと思います。

 

 

ただブログでやらないといけないのは言葉でいかに説明できるかだと思うので、ちょっと頑張ってみたいと思います。

 

僕は今回金曜の特別クラスと土日のセミナーに参加しました。

 

金曜の特別クラスでは呼吸を感覚機能の一つとして使えるようにするというものでした。水曜日(2月6日)の東京の特別クラスでも同じような内容でした。

 

まず初めに思いっきり呼吸をします。深呼吸の感じで自分の呼吸の自由さを感じます。十分に感じられたところで、二人一組になり少し触れてもらいます。その時に自分の呼吸がいかに制限されているのかを感じ、もとの呼吸の自由度に戻していきます。

 

普段の生活の中でも呼吸の自由度が頻繁に制限されています。ただ、これ自体では大抵の人は気が付かずに過ごしてしまっています。なので、フィジカル的な接触が起こってから、それをフィジカル的に処理しなくてはいけない。そうすると身体が大きい人、力が強い人、スピードが速い人とやった時にやられてしまうことになる。そうはしないので、呼吸のレベルで処理できるようにする。実際にザイコと組んでみると、離れた位置からすでにコントロールされてしまっていて、接触の時点では自分の選択で動いていないような感じでした。しかし、自分の動きが押したり、引いたりされることによって制限をかけられているわけではないので嫌な感じなどはありません。ザイコの言っていた自由と選択の自由の違いを感じました。

 

金曜日にはひねったり、押されたりするところから回復するというものでしたが、水曜日には相手の思考や意図の変化を感じて快適な位置に動くというところまでやりました。

 

東京のセミナーでもやるそうです。

 

 

そしてザイコのストライクセミナー。

 

いきなりのスタティックプッシュアップから始まります。まずこれである程度疲れることが大事です。そこからパートナーがストライクすることによってその人を助ける。回復させる。それを最初は2人一組で行い、次に4人一組で3人がスタティックしているのを一人が回復させていく。そして、その次にまた二人一組に戻り、遠くから見ていて、30秒に一回だけストライクを打ちに行って回復させる。この時に強調していたのは、正確性。自分に迷いが出ているうちはストライクを打たないことです。

 

ストライクが打てるのは30秒に一回かもしれないし、1分に一回かもしれないし、半日に一回かもしれない。もしかしたら、一生に一回かもしれない。この時はスタティックプッシュアップをしている人を助ける話だったので、みんな笑っていましたが、実際にこれは現実にあり得る話ですよね。あえてシステマのクラスに限定していうと、初めてクラスに来た人がまた来てくれるかはわからないわけで、その人にとってはそのクラスが人生で最初で最後かもしれない。その人にどうストライクを打つのか。

 

 

スタティックをやっているときには辛いのはやっている方でパートナーは特に辛くはないです。なので余裕があるほうが助ける。シンプルです。

 

そして最後はスタティックしている人のそばにいることによって助ける。居場所とプレゼンス(いること)のみによってその人を助けるというものです。この時にはかなり疲れていることが大事です。

 

ちなみにここまでで2時間程度。一人1時間くらいはやっています。あまりスタティックが得意でない人も少しずつ姿勢がよくなるなど、楽にできるようになってくるのが見て取れたのがとても面白かったです。

 

 

その助ける側の感じをもって今度はストライクを打たれます。もちろん打つ側も同じ感じで打たなくてはいけません。打つ方は連続で50回くらい打ちます。(目安)もちろんこの時に自分が打ちたいように好き勝手打つのではなく、さっきのように相手のことを考えて打ちます。そして打たれる側。こちらもさっきやった助ける側の感覚で相手を観ます。そして、10回打たれる間、息を吸って、また10回打たれる間、息を吐きます。我慢して耐えるのではなく、相手を助けるように受けます。

 

その次に同じワークをしている中で、相手が強く打ちたくなるように自分の状態を変え、そこから相手の打ち気をなくさせるように状態を変えます。

 

その次に相手に打たせておいて、ストライクがどこから来てるのかを見極めそこに届くようにストライクを打ちます。この時も自分に迷いがあるなら打たない方がいいと言っていました。

 

そこからエクスターナルのストライクとインターナルに響かせるストライクの違いをやりました。エクスターナルのバリアとぶつかるのではなく、内側にのみ響かせるストライク。

 

日曜(2日目)のデモ中にドアをノックするのではなく、中に入って中の人とビールを飲むという感じと言っていました。ここら辺の比喩は実際になんとなくの感じを掴めたときにわかるものだと思うので、やる前から言葉に踊らされるのではなく、はじめはまあそんなもんかっていうくらいでいいのではないかと思います。

 

この時ももちろん相手のことを観ることが大切です。エクスターナルのストライクはいくら強くなっても壊すことしかできない、例えばジョイントブレイクという言葉があるように、ジョイントに対してエクスターナルに働きかけているだけでは、相手を壊して敵を作ることしかできない。敵を作るのはやめなさいと言っていました。

 

このインターナルに打つワークから2日目は始まりました。初めの30分くらいはずっとデモです。

 

この時に言っていたのが、自分がどう打つのか、どのくらい強く打てるのかではなく、相手にどう影響するのかが大事ということです。また、周りの人にどう見えるのかを気にするのではなく自分が打つ人がどう感じるかが大事とも言っていました。

 

この日はそこから、相手に活力を与えるストライク、相手の活力を奪うストライク、ストライクによる方向付けをやりました。この辺は応用なのでこういうこともできるよというものです。

 

そして食後(前日は休憩なしでした)、うつぶせに寝てる相手にストライクを打つことでマッサージをするというワーク。今回学んだことをすべて使ってやるというものです。

 

 

 

これをやった時にようやく非破壊のストライクを理解できたような気がします。

 

 

取り急ぎワークの振り返りしました。感想等は東京セミナーが終わってからにしようと思います。

Individuals

僕にとって初の大阪セミナーに参加してきました。アフターも含め、東京とはまた違う感じでとても良かったです。金銭的な問題がなければ毎セミナー参加したいです。今回は初めてなので結構お金かかってしまいました。とりあえず9月にあるであろう、今年の僕にとってのメインイベントに結構な額かかると思われるので、しっかり計算しつつ行きたいです。

今回のセミナーのテーマはストライク。本当にストライクやるのかなって多くの人が思っていたと思いますが、やりました。

今回ザイコがよく言っていたのは、群れとしての群衆と、個々の集まりとしての群衆を使い分けるということ。peopleとpersonsって僕の中では解釈してます。ザイコはindividual と言ってました。

このまま大阪ザイコセミナーの振り返りと行きたいところですが、今回は別のお話。

Glass。シャマランの最新作で、アンブレイカブル、スプリットの続きです。邦題はミスターガラスですが、凄い発音しにくいのでグラスでいきます。

前作の2本を観てると面白いという評判だったのですが、見終わった時、なんかこの映画変だなって思いました。

前作までの流れと一緒というか、シャマラン映画は大体そうらしいんですが、スーパーヒーローの存在の証明です。前作までと違うのは今回は普通の人々がスーパーパワーの存在を知りながら、その持ち主の足を引っ張るというものです。

僕の感じた違和感を確かめるべく、色んな解説を聞きました。その違和感の正体はシャマラン作品の裏にある、アインランド主義という、いわゆるエリート主義でした。

アインランドは小説家で、ハリウッドで脚本家になりたかった人です。ソ連になったことにより、アメリカに逃亡してくるはめになったので、共産、平等を酷く憎んでいます。

アインランド主義についてだけで、かなり話せるのですが、要約すると一部のエリートが世界を変えるのだから、そのエリートの自由を保証しておけばいいんだというものです。普通の人々はどうでもいいから。

シャマラン自身がかなりそう思っているらしく、自分自身を投影させた、物語を作れる天才(シャマラン)が世界を変えるという作品の案を出したら、ディズニーに「これは自分に入り過ぎてる」ということで却下されました。このことで自分を曲げないシャマランはブチ切れ、話し合いの場からいなくなり、ディズニーから離れます。

また、シャマラン作品に共通してる概念として、もう一つ、醜いアヒルの子があります。醜いとバカにされていたアヒルが実はもっと美しい白鳥だったという話です。

スプリットにせよ、グラスにせよ、天才は普通でないが故に傷つけられるが、その後自分自身の才能を見い出し自分こそが天才だと気づくというところで終わります。

これ自体はそんなに特別なものでもなく、よくあるといえばよくある作品です。これにアインランド主義がつくことによって、スーパーヒーローVS普通の人々という構図が出来るわけです。

ありえないですよね。

だってヒーローは普通の人々を助ける存在だから。

そしてこの作品は、シャマラン自身の復習としての作品なんですよね。

ヒーローはアベンジはしてもリベンジはしません。自分では戦えない人々のために戦うのがヒーローです。

ここで僕の昨日のツイートに繋がります。

僕の中で内包されている、弱者救済と弱肉強食の矛盾。自分で戦える人のためには戦わないって事です。凄い簡単に言うと。というか僕にとってこのツイートはもうあんまり意味をなしてません。

だってこの時の僕の言っていた弱者っていうのは、peopleであってpersonでもindividualでもないからです。

意味ないですよね。

実体のない群衆としてみて、それと戦う。

やりがちですね。

女性蔑視。男性嫌悪。反韓反日。大体差別的なものってそういうものでしょう。

個々人を群衆のカテゴリーの入れて解決しようとする。

今回のザイコの言っていたIndividualっていうのはそういう部分も意味してたんだろうなと思います。

ただそれがインターナルや意識的な部分だとしても、個々人と向き合うのは疲れてしまいますよね。だからこその体力、だからこそのフィジカルなんだろうと思います。

ヒーローになれない人でも、いやだからこそトレーニングが必要なんだと思います。

やれるならやったもん勝ち

力こそパワー

力isパワー

最近の僕

 

 2019年始まってそろそろ一か月がたちます。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
2019年は変化の年(僕にとって)になるらしく(母情報)、すでに多くの変化が訪れています。

 

1つ目はパソコン教室に通い始めたこと。3月で介護士の仕事を辞め、別の仕事に就くのでパソコンを習っています。今はとりあえずExcelの勉強中。楽しいです。新しいことを習うのが好きだっていうことと、自分でも新発見なのですが、パソコンをカタカタやってるのは意外と楽しいってことに気づきました。まだまだ、タイピングにも慣れてないので、肩に力入ったり、打ち間違えがとても多いんですが、呼吸しながらカタカタやっております。

 

2つ目はバー巡りを始めたことです。これはつい最近のこと。本当の目的はいい雰囲気に頼って女の子といい関係を築くというものでしたが、その前段階で失敗したために一人で行くことにしました。大学生くらいの時は、男がちゃらちゃらしてるのはおかしい。という前時代的な発想のもとに生きてたので、あまりお洒落なお店を知らない、お洒落なお店に行かない人生を送ってきました。そういう発想と離れてから長くたつので、いいかげんお洒落な店に行けるお洒落な男になろう、というかもうちょっと人生観を広げようということで始めました。

 

初めてのお店が外見がちょっと厳かな感じで入りにくいなあと思ってたんですが、入ってみるとすごくいい雰囲気で、店員さんも気軽に話せて良かったです。あそこでなんか嫌な思いをしてたら、挫折してたかもなぁと思います。紹介してくれた方本当にありがとうございます。
一か月に1,2回くらい巡ろうかと考えてますので、皆様のお店の情報、紹介をお待ちしております。

 

ちなみに初対面の人にシステマの話は受けます。というかシステマの話は誰にでも受けると思う。ほぼみんな知らないので、食いつきもいいし、知っていてもピーマンスタンダードさんを知っているくらいのものなので、うまく宣伝できればもっと人口増えるんじゃあないかと考えてます。僕はうまく宣伝できませんので、みなさんがんばってください。僕ももうちょっと話のネタとして提供できるように考えておきます。

 

ただ、バーに行っても自分は聞き役なんだなぁと実感しました。スタイル的には、能動的聞き役(積極的聞き役)を目指していきたいなぁとか最近は思います。アプライドなんかはまさにそんな感じです。僕的には。最近アプライドが楽しいです。

 

そもそもかなり人見知りが強いほうなので、新しいお店に一人で入ることも少ないので、結構自分的には進歩です。
紹介してもらったから入れたっていうのもありますが、一歩踏み出せて良かったです。あとTwitterで事前に呟いておいたので、引くに引けないっていうのもよかったですね。

 

 あと何個かありますので、まとめて。

最近は本が楽しいので、結果的に映画の本数が減ってきました。まだ、6本しか見てません。ちょっと積ん読が多すぎるっていうのも一つの要因ですが。。。徳を積むのは良くても、読んでない本をいくら積んでも焦るだけですね。


ステマ関連だと、シス東以外のクラスに初めて行きました(セミナー除く)。別に行かないようにしていたわけでも何でもないんですが、なんか一つの変化かなと思います。そこで、久しぶりの方とあって、ブログを読んでると仰っていただけたんで、もう少しブログ書こうかなと。システマのクラスに参加したくてもできない人がそれなりにいると再確認したので、少しでも最近のクラスの感じとか伝えられたら、ちょっとは役立てるかなと思いました。

 

大阪のザイコセミナー行くので、少なくともこれくらいは書かないとなぁと思っております。
大阪、東京、二つの比較から見えてくるものあたりで、うまくいけば3本。さらに最近のクラスとの関連とかもいれたらもう少し書けるかもなぁと思います。

手始めに去年の振り返りしてもいいかもしれないなぁ。

ステマ関連で大阪に行くのも実は初です。
バー行くか、おいしいものでも食べられたらいいなと思います。ザイコのセミナー疲れちゃうんで体力残ってないかもだけども。


そうだ。忘れてた。プリズナートレーニングを始めました。約3年半ぶりに筋トレ?リスタートです。
でもプリズナートレーニングって思ってたようなデカい筋肉をつける感じのトレーニングではないんですよね。表紙がオリバだから、筋肉大きくする系の本だと思ってたんですが、全然といってもいいくらいに違いました。しかも呼吸しながらやってるから、きつめのシステマレーニングやってるのとあんまり変わらないです。自分的には。


ステマーの方にもおすすめです。特にブリッジ。胸が強制的に開くポジションになるので、終わった後の呼吸が楽で、呼吸量が多く感じられます。大事です。きっと。腰痛予防にも効くとのことで、万人にお勧めできます。

 

リズナートレーニングはステップごとに細かく強度が分かれているので、女性にも簡単に始められます。っていうか女性におすすめしたいくらいです。ちょっと表紙と名前が買いにくいというのはあると思いますが。まあ今はネット注文できる時代ですからそれもそこまでのハードルにはならないでしょう。

 

変化してることにかまけず逆らわず。日々のトレーニングを積んでいきたいと思います。最後に頼りになるのはなんといってもフィジカルなんでね。

これを知ってほしいクリード2

書け。書くんだ。パン。

 

とのお達しがあったので早い段階で続きを書きます。

 

前回は前作とロッキー映画との比較をメインで書きました。でも今作は、ロッキー4を語らずには語れない作品です。

 

なぜなら今回アドニスが戦うのは、自分の父親、アポロをリング上で殴り殺したドラゴの息子。

 

イヴァン・ドラゴ。ロシアが生んだ最強のボクサーとしてアメリカにやってきます。なんといってもデカい。俳優の名前はドルフ・ラングレン。198cmあるそう。アポロと並んだ時、ロッキーと並んだ時ともにその身長差に驚かされます。スタローンは177cmしかないんで、22cm近く違う。そう考えると、ヘビー級っていうのはすごいところだなぁと思う。DCもジョーンズとかとよくやるよなぁと思う。でもなんてったってChampChamp。

 

当時のロシアの最新鋭のトレーニングとロッキーの泥臭いトレーニング方法などの対比と、今回のトレーニングの仕方なんかもまた見所です。ある意味4はトレーニング映画みたいだったなと見終わったときは思いました。

 

音楽もロッキーのころからはだいぶ変わってきましたね。昔はロッキーのテーマのようなクラシック的音楽から、サバイバーのようなロックだったロッキー映画。クリードでは黒人が主人公だからなのか、ラップが多い。僕はラップ好きだから今のもいいけど、シリーズの中ではEye of the tigerが好きですね。今回ちらっと流れるんじゃあないかなあとか思ってました。今回もロッキーのテーマが流れるタイミングが最高で、あれ流れると「うおおおおおお」ってなりますね。

 

実はロッキー4でアポロの入場曲をジェームス・ブラウン本人が来てやってるんですけど、今考えてみるとセックスマシーンを呼んできちゃうあたり、浮気性の部分を表してたのかなとか思ってしまいます。

 

 

ロッキー4でロッキーが勝った後、ロッキーはなおさら国の英雄として持ち上げられます。5ではその続きなのにいきなり破産するところから始まるんで、なんか印象に残らないんですが、もちろん勝者がいれば敗者がいるわけです。ドラゴ。サイボーグのような男で、きれいな奥さんがいて、でかくて強い国の威信。そんな男がよりによって、アメリカの男に負けるわけです。しかも自分の国で試合をして完全にホームだったのに、最終的にはみんながロッキーコールをしてしまう始末。ドラゴはその後、完全に国辱として国を追われてしまいます。

 

ここらへんもドルフ・ラングレン自身の人生にもかぶっていて、ドルフ・ラングレン極真空手の欧州チャンピオンであり、マサチューセッツ工科大学フルブライト奨学金で行っていたほどの優等生でありました。しかし、ミュージシャンの女性と付き合ったことをきっかけに、大学を辞めて、芸能界に入ります。その後ロッキー4で大成功し、オファーが多く来るようになりますが、すべてドラゴのような、ほぼ喋らないサイボーグのような役ばかりしか来ず、80年代の筋肉映画ブームの終わりとともに、仕事がなくなっていきました。そして、ロッキー4がきっかけで妻も失う。これは役作りでスタローンと一緒に住んでたのが理由なんですが、スタローンはブリジット・ニールセンと付き合ってるしで、ドルフとしてはやってられないよね。って話です。

 

 

前回のブログでも言ったようにスタローンも4以降人生がうまくいかなくなります。その経験からなのか、スタローンはやはり周囲の人間丸ごと救っていく漢ロッキーだからなのか、スタローンはいろいろな人を救っていきます。その代表がなんといってもエクスペンダブルズ。80年代に終わった筋肉俳優を呼びまくって、映画を作る。エクスペンダブルズに出る条件は破産してるか、離婚しているかなんじゃないかといわれるくらいすごい集団になってるらしいです。唯一まともなのがステイサムっていうくらいだから、そのやばさが伝わってくる。ドルフ・ラングレンももちろん出てます。

 

 

ロッキー6では自分に負けて落ちぶれたボクサーを食べさせてたし、そもそも、はじめのロッキーがそういう映画。ポーリーもエイドリアンも、そしてミッキーも同時に救っていく。最初は帽子を深くかぶり、眼鏡をかけ、おどおどしてロッキーの試合を見ることもできないよな内向的な女性だったのが、最後には帽子もかぶらずに、リングに上がるようになるくらい大胆になる。ロッキーがリング上でエイドリアンに会った時のセリフが「帽子はどこだ?」っていうくらい帽子はエイドリアンにとって外に出るうえでなくてはならないものだった。まあ、そこなん?って思ったことは思ったけども。

 

そんなスタローンが再びドルフ・ラングレンをロッキーの続きであるクリードへ連れてきます。完全なる悪者だったドラゴが、憎悪をもって再びロッキーの前に現れる。実の子供を連れて。国を追われ、金を失い、妻も失った。唯一残された息子に自分の唯一の武器である、ボクシングのすべてを厳しく伝える。

 

ここもドルフの自分自身の体験を生かしているとのこと。ドルフの父親は元軍人の教師で、厳しくドルフを躾けるとともに、精神的にも追い詰めていきます。その結果優等生という世間からの評価ではありますが、サイボーグのようなドラゴのような人生だったようです。

 

すべてを失った親子と、すべてを勝ち取ったアドニスとの因縁の戦い。

 

そんなありきたりのストーリーでロッキー、クリードは終わらない。

 

殴られ、倒され、それでも前に進んでいく。それはロッキーだけではありません。ロッキーを通して、アドニスへ受け継がれ、ロッキーと対戦したドラゴも4の最後にはサイボーグのような冷たい心を融かされ、人間らしい心を見せる。

 

 

人生という誰よりも強いパンチを打つ存在。誰もがそんな人生と向き合わなければならない時がある。だからこそ、ロッキー、そしてクリードは単なるボクシング映画では終わらない。誰しもの心に届く一作、それがクリード2なんであります。

 

ここだけでも押さえておいてほしいクリード2

 

クリード2。ロッキーファンにはたまらない一作になっていました。僕はありがたく一年分の涙を流させていただき、もう今年は泣かないことでしょう。涙腺がスタローンに弱い。

 

クリード2。2なので前作だけでも観てから映画館には行っていただきたいですが、ざっと内容をさらいます。

 

 

そもそもの発端はライアン・クーグラーという当時ほぼ無名の監督が持ってきたロッキーの続きを、太っ腹なスタローンがあっさり承諾。その案というのが、ロッキーの親友(恋人)だったアポロが愛人との間に産んだ子供の話。

 

アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン)これがクリードの主人公の名前。クリードという名前を使ってしまうと、いろいろとやっかいなので、自分を産んですぐに死んでしまった母方の姓を使っている。

 

このアドニス君はお母さんが死んだ後に施設を転々としていたところ、アポロの正妻に拾われる。その時に俺の父親はなんていうんだ?ってアドニス少年が聞いたところで、ドーンとタイトルコール。CREED。めちゃめちゃかっこよかったですね。

 

このアドニス君はアポロの正妻に拾われて、大学も卒業させてもらい、一流の会社に勤めている。だが、ファイターの血を受け継いだ彼にはそんな生活には耐えられず、裏ボクシングで戦っていたが、表の舞台に出てくることを決意し、会社を辞め。単身フィラデルフィアに行く。

 

 

ロッキーに会うために。

 

 

ロッキーはこの時はもうボクシングにはかかわっておらず、レストランの経営だけ。5,6を観ている人にはわかるのだが、ロッキーは破産をし、息子とはうまくいかずに、元ヒーローとしての話をレストランにきてお客さんにするくらいのことしかできなくなる。

 

これは、まんまスタローンの話であり、4が終わった後にスタローンはブリジット・ニールセン(ドラゴの嫁さん役)と結婚するために、今まで苦楽を共にしてきた妻と別れ財産を半分にされ(州の法律のため)、そのブリジット・ニールセンとも1年半くらいで別れてしまい、さらに財産が半分になる。さらにその後は映画も当たらなくなり、2006年のロッキー・ザ・ファイナルまで低迷期を過ごす。

 

5ではスタローンの実の息子セイジが登場する。ロッキーの息子は、あまり体が強くなく、学校でも馬鹿にされ、一人の人間、男としてではなく、常にロッキー2世としてしか見られない。その部分を描いたのが5,6であり、スタローンが息子に伝えたかった部分でもある。

 

現代社会とは異なる泥臭い人生を送ってきたロッキーだからこそ伝えられる言葉はあまりにも重く、今では僕の人生の指標ともなっている。

 

そして、不幸なことに現実では映画業界に入ってきたセイジ君は、うまくいき始めた時に血液の病気で死んでしまう。

 

 

クリードにはそういう部分にもフォーカスされていて、ロッキーの家の冷蔵庫に貼ってある写真は5の時の写真。つまり、死んでしまった実の息子の写真である。それがわかるロッキーファンはそれだけで、泣きそうになる。

 

 

死んでしまった実の息子のこともあり、アドニスを実の息子のように思い、育て上げていくのが前作のクリード

 

結局隠していた、アポロの息子だということが世間にばれ、ヘビー級のチャンピオンとの対戦を受けられることになる。この流れはある意味ロッキーとのつながりを感じ、節々に出てくる言葉やTシャツの文字などから、ロッキーファンは愛着を感じる。

 

ロッキーは4の時に親友のアポロの試合中に危険だとわかっていたのに、試合を止められず、タオルを投げることもできなかった。

 

そのためアドニスがチャンピオンと戦っているときにも危険を感じ、試合を止めようとする。もう十分だと。そこでアドニスはこう言い返す。「証明することがある」何を証明するのか「俺は間違いじゃない」。これはまさしくロッキーがアポロと戦うときに言っていたセリフであり、ロッキーが身体を張って証明し続けてきたことにつながる。

 

 

自分がBumでないことを証明するために、Going the distance with Creed.クリード(アポロ)相手に最後までやりきる。最後まで立っている。Creed には信念という意味もある。なので、信念をもって最後までやりきる。という意味にもとらえられる。これがロッキーのはじめである。

 

今回の予告にはこれを匂わせるセリフがある。リングで起き上がったアドニスにレフリーが名前を聞く「What's your name?」アドニスは弱弱しく答える。クリードと。レフリーがもう一度聞く名前は何だと。そこでアドニスクリードと叫ぶ。自分の名前の持つ意味に気づいて。

 

 

これがTwitterで言い続けてきた、Going the distance with Creedからas Creedに変わる瞬間です。

 

 

。。。書きたいことの半分もかけてないけど、2000文字行きそうなのでここでいったん終了します。今回はアドニスよりもほかのキャラクターが良すぎたんだけれどなぁ。

 

しかしマイケル・B・ジョーダンの肉体は素晴らしかったですな。本当に筋トレ再開しようかと思うくらい。プリズナートレーニングの本買ってこようかしら。

 

 

 

 

 

 

 

2019年の抱負のようななにか

2019年になりました。

皆さまいかがお過ごしでしょうか?

いつのまにか、前回の記事からひと月以上期間が空きました、との通知が来て、そこから書こうと思っているうちに、また1週間経ってしまった次第です。

2018年の反省やら、書くことはたくさんあったのですが、結局書けずじまいです。

まあストックはあるっちゃ、あるんですが。

2018年の終わりは、2019年色々と変化がありそうなきっかけの芽がたくさん出てきて、忙しい感じでした。今年は上手いこと波に乗れたらいいなと思っております。

正直、不確定要素が強すぎてなんとも言えないのですが、上手く行けばシステマセミナーとかには参加しやすくなるんじゃあないか、と思っています。

ただ3月まではクラス参加率、映画観れる本数ともに減りそうで、上手くやっていきたいなぁと思っています。

実際今年は上手くいかないと、映画100本観られない可能性さえありそうなので、一応目標でまた100本にしておこうと思います。

あと今年はアウトプットも増やしたいので、ブログ50本も目標にしたいなと思っております。

パソコンも購入予定なので、今までのiPhoneよりも3倍くらい早く書けるんじゃあないかな。

本は50冊継続かな。

あとぼやっとした抱負のような何かとして、弱ぶらないというのがあります。

怖がられるのが凄く嫌いな自分は、あえて自分を弱く見せることで安全な人を演じることが実は結構ありまして。

で、好きな映画の多くでダメな男、いい女。的なのをよく言ってたと思うんですが、そのダメな男をわざと演じてた嫌いがあります。

っていうのをふと今年の2日。大学時代の友達に会った時に思ったんですな。

弱ぶるというのは謙虚にならないということではなく、自分を卑下して縮こまらないということです。

これって真っ直ぐ立ててないなぁと。

なので、ある意味今年のコンセプトは「姿勢」とも言えるかな。

なんでこのタイミングでこれが起こったのか。

これは本当に日々のトレーニングの結果だと思うんですな。

きっかけとしては大学時代の友達に会う。っていうだけのものだったわけだけれども、それまでの色々な積み重ねがここにきてリラックスに繋がったんだなと。思うわけです。

いまだにトレーニングを続けているという、特殊な部類(らしい)なので、歳を重ねるごとに考え方も、身体も変化しまくってると自分では思ってるわけです。

なので、今までは大学時代というか、昔の友人に会う時には、過去を振り返りながら、昔の自分を演じてたわけですが、2日の時は、それがなかったんですね。メンツが良かったというのももちろんあるとは思いますが。

こういう変化は次の日朝起きたら元に戻ってるかなと思ったんですが、そんなことはなく、スルッと今までの重荷が抜け落ちた、もしくはブン投げてどっかにやったのか、栄養として吸収されたのか。と思うくらい、前の自分とは違うものになってしまいました。

なので、身体が極端に変わった、新しいことができるようになった、新しい技を習得した。というのとは全く違うのですが、1つの進化の形として、今までのトレーニングへの感謝があるわけです。

なので今年もトレーニング。

ステマに映画、そして読書、人との関わり。その他日々の生活の中でのトレーニングを怠れないなと思うわけです。

以上今年の抱負のようななにかでした。

そろそろブラッドセミナーを振り返りたい。

ブラッドセミナー東京

今回の印象は、というか2年前もそうだけど、ワークの数がとても多かった。

ステマ東京は色んなインストラクターのクラスがあるので、人それぞれの感じ方がリードに表れていてとても面白い。(宣伝)

印象を受けたワークも違うし、シェアする内容や方法ももちろん違う。

実際そういえばこんなのやったなーってことばっかりで、全然覚えてないんだなって思わされる。

毎度のことながら。

今回のセミナーのテーマは

Awareness, speed, power

一番最初にやったのは、集団の中から1人決め、他のワークをやりながらもその人の事を意識し続ける。というもの。

総勢150人くらいだとその人に気づかれないようにするのは難しくないけれど、常に意識し続けるのは難しい。他のワークに集中し過ぎたりすると、すぐに見失う。

また気づかれにくいということはつまり気づきにくい、渋谷や新宿で目をつけられても容易に気づけないんだなと、改めて怖さを感じる。

実際何かのワークをやっている時に、いつのまにかブラッドが横にいて、驚いた。

どれくらいそこにいたんだろうか。。。

あっ、今死んでたなっていう感じ。

ブラッドも苦笑い。

今回のセミナーではブラッドの意識が広く行き渡っている様を感じた。今の一件もそうだけど、キックのワークで2対1をやっている時、ボコボコに蹴られまくって、全然上手くいかんなぁと思ってると、not bad とブラッドに言われ、そのまま続けてと言われたので、へこたれずにワークに取り組めた。

また、ちょいちょいgoodと声をかけてもらえたりもしたので、改めてあの人数の参加者を把握してるっていうのは凄いなぁと思った。声かけてもらえると気にされてる感じがして、やる気にもなるし。

今回はちゃっかりデモにも呼んでいただけた。何よりビックリしたのはブラッドの身体。

デモは、首に当てられたナイフを肩の動きで避けるっていうワークだったのだけれど、ブラッドの首に触った瞬間、人間の身体ってこんな風になるの???っていう触感だった。

ブラッドはなかなか触れる機会がないので、しっかり触れたのはその一回のみ。

どんな感触って言われても分からないけれども、やっぱフィジカルが大事なんだなと再認識した瞬間だった。

ブラッドはデモの中で凄い動きとか、アンコンタクトワークとかもやってるけど、ああいうのは身体がしっかりしてこそのものなんだろうなと勝手に思った。

自分がフィジカル至上主義だからなのかもしれんが。

どうやったらああいう身体になれんだろうか。

ちなみに、今回一番印象に残ったワークは、ストライクの練習で、1、2と打ってくる相手に対して、1と2の間に相手にストライクを当てるというワーク。

タイミングだけで、軽いストライクでも簡単に崩せる。

これぞ、”timing beats speed” ってやつか、と密かに楽しんでいた。

その後のデモで、相手が1発目を打ってきた時に身体は避けるけれど、拳は相手のエリアに入れておくというのを説明していた。

これがユーチューブでよく言ってる “the fist is already here” っていうのの1つなんだなーと納得。

Speedとpowerに関してはほとんど説明なかったわりに、timingとprecisionに関してはしっかりワークやってたから、なんかタイトル違くてもいいんじゃあないかと思った。とはいえ、タイトル関係ないのはいつものことか。

僕はわりと考えてるけどね。