だらっと和田パン

話が跳んだり跳ねたり行ったり来たり。映画とか、システマとか、漫画とか。ネタバレあります。

エクセルシオール

エクセルシオールにおります。

“Excelsior” 。ドトールの高級版ということで、雰囲気はドトールよりも高級な感じ。でも吉祥寺のエクセルと、赤坂のドトールならそんなに大差ないんじゃあないかと思ったりも。赤坂のエクセルはかなり高級感あるけど。看板の色のせいかドトールの方がチープな感じはたしかにある。気がする。

“Excelsior”。ラテン語で「優れた、気品のある」もしくは「常に向上する」という意味の単語。常に向上するという方の意味を好んで使っていた、スタン・リーさんがつい最近亡くなった。

スパイダーマン、ハルクやアイアンマン、キャプテンアメリカX-MENなど様々なマーベルコミックの編集者にして、原作者。

この人はマーベル映画にカメオ出演しているのことでファンに人気らしく、また映画の中に探しに行かないといけないなと思わされる。そろそろマーベル観直したいところだったので、まあよし。

年末年始のシステマ難民になった時に、一気に観るっていうのはありかもしれない。また新たな発見があるかもしれないし。

来年の「キャプテン・マーベル」や「アベンジャーズ4」の予習もしたい。

スタン・リーさんがアメコミ界に持ってきた大きな2つの概念は、オタクのヒーロー化と、社会問題、政治問題を漫画に反映させることだった。

それまでのDCに見られた、バットマンやスーパーマンのようなマッチョなヒーロー像から、ひょろひょろのオタクをヒーローにしたスパイダーマン

多くの人々が共感できるのは後者なんじゃあないかと思う。スパイダーマンとかに勇気づけられた人はかなり多いんじゃあないかな。

少なくとも、小中なんかではずっと本を読んでるような、引っ込み思案だった自分としては、共感できるのはスパイダーマンの方。

伴うっていう漢字が読めないくらい小さい頃に観たのがスパイダーマンだったので、もしかしたら、あれが最初のアメコミ映画だった可能性は大いにある。

マーベルのみならず、アメコミ映画はだいたい好きなので、もちろんDCも好きなわけではあるが、超大金持ちのブルース・ウェインや、空も飛べる超人のクラーク・ケントよりは、ちょっと(かなり)頭のおかしいジョーカーとか、ヴィランへの方が引き寄せられる。

ヒース・レジャーが好きっていうのはもちろんあるけど。

スパイダーマンはもちろん、サム・ライミ×トビー・マグワイヤのスパイダーマンが好き。サム・ライミもオタクだし、トビー・マグワイヤは見た目がサム・ライミに似てオタク顔(ゴメンなさい)。当初はディカプリオでやるっていう話も出てたらしく、そこを断固として断ったサム・ライミは本当に偉いと思う。スパイダーマンがめちゃめちゃ好きだったサム・ライミ、どうしても自分で撮りたかったらしく、もともとあったスパイダーマン像を壊すことなく映画を撮ったのは本当に尊敬。ディカプリオの悪人顔じゃあスパイダーマンは向かないよね。

その想いが結果としてあの映画に現れてると思うと、オタクの力は偉大なりと思わざるを得ない。

初期のスパイダーマンと言えば “With great power comes great responsibility”

「大いなる力には大いなる責任が伴う」

サム・ライミの三部作の幹となってるのはこの言葉で、是非とも今度のアベンジャーズで使って欲しい。トムホに、ダウニーJr.かクリエバが伝えて欲しい。1番言わなそうなダウニーJr.が言ったら泣いちゃうかもしれないよ。

もう一つは、政治問題や社会問題をコミックに組み込んだところ。もともと僕なんかは虚構の世界に生きる、漫画脳、映画脳の人間なので、現実なんかは見たくもないのであるが、虚構とは現実の写し鏡なわけで、虚構の中に入っていくとどうしたって現実に辿り着く。それを最初に取り入れたのがスタン・リーさん。

アメリカだと(日本でもいくつかはそうだと思うけど)コミックの中にも政治問題だったり、社会問題が普通に入り込んでるからそもそもそこを分けたりなんかはできない。

キャプテンアメリカのTシャツだってそういう意味で着てる人もいるかもしれんしね。愛国者であるが故に、国を裏切らずにはいられない。

逆に「俺はアイアンマンだぜ」とか。

シビル・ウォーは別に童貞の70年漬けVS女たらしで金持ちのチャラいちょい悪親父、ってだけじゃあないのよ。

まあまあみんなで仲良くやろうぜっていうのが、デップーだったりするよね。デップーもスタン・リーなのかしらん?

時代はinclusiveness(包括性)ですからね。何でもかんでも分けて考えてたらあかんですよ。

何はともあれ

スタン・リーさんありがとうございました。

Nuff said!