だらっと和田パン

話が跳んだり跳ねたり行ったり来たり。映画とか、システマとか、漫画とか。ネタバレあります。

男に生まれて助かってる部分

スターウォーズのエピソード1から6まで観終わりました。3.5と7、8は最近観たからとりあえず今は観ません。7はNYで観たから、字幕付きでもう一回観た方がいい気もするけど、まあ置いておこうと思う。

そういえば、7でハリソンフォードが出てきたときに、劇場で拍手が起こったのはとても良かった。まず日本ではない一体感がとても心地良かった。

スターウォーズは4から観てる人が多いと思うけど、スターウォーズを1から観てみるとスターウォーズっていうのは、アナキンの話なんじゃないかと思ってしまう。

1から3はアナキンがダースベイダーになるまでの話だから、もちろんアナキンの話なんではあるが、4から6も観てて誰が主人公なのか分からなくなる。存在感だけなら当然ダースベイダーが1番あるし。ルークが通ってきた道っていうのは大体アナキンが通ってきた道なんだよな。もちろん4から6までが先にあるから、ストーリーとしてはルークの通った道をアナキンが通ったという見方もできるかもしれないが。Many of the truths we cling to depend greatly on our own point of view.

ダースベイダー。あの曲も含めての存在感はあまりにも圧倒的。何で観たかは覚えてないけど、3.5の監督がダースベイダーの存在感が強すぎて、どこで使ったらいいかを凄く考えさせられたっていうのもよくわかる。7からはダースベイダーがいないから、なんだかんだの不在感はある気がするものな。

ちょうどワイルドスピードでポールウォーカーがいないように。

ただキャリーフィッシャーは7、8の方が綺麗だった気がする。8からはハリソンフォード、9からはルークもレイヤ姫もいないって考えると大丈夫かなって思ってしまう。時代が変わるっていうのはそういうことなのかもしれないが。The fear of loss is the path to the dark side. ということなのだろう。でも失うことはやっぱ怖い。

ーここで町山さんのラジオ(YouTube)を聞くー

そーかー。ルークは悲劇の主人公であり、スターウォーズジョージ・ルーカスの話なのかぁ。ということはルークはアナキンであり、アナキンはルークっていうことか。蛙の子は蛙というか、この血縁関係のどろっとした感じはなんか分からなくはないな。

7からはディズニーになるから、似た要素はあれど、やっぱりジョージ・ルーカスっぽい感じからは離れていくんだろうな。

なんかレディ・プレイヤー1ジョージ・ルーカス成分を感じ始める。もちろん直接的にではないけれども。

7からは女性が主人公になってるし、やっぱりこれはジョージ・ルーカスから離れたっていうことの1つではあるんだろうな。

ハリウッドはやっぱりフェミニスト運動を顕著にやるようになってる気がする。オーシャンズ8然り、インクレディブルファミリー然り。

オーシャンズ8オーシャンズ11の時みたいな、超どんでん返しっていうのはないんだけど、まあ最高ですよね。

サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットにアーンするシーンがあるんだけど、それだけで100点。サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットかっこよすぎるんだよね。ずるいわ。

今までのオーシャンズは男メインで、特にジョージ・クルーニーはちょいワルおやじだから、ちょっとマヌケっていうか、ダメなやつ感がある。そこがいいし、超かっこいいけど。

でも今回のオーシャンズはいい女の話だから、あんまり隙がない。8人が8人そうではないし、そこもキャラクターがあって面白いところなんだけど。

それにしても、女優じゃあないリアーナが映画の中であれだけの存在感を放てるのはやっぱりすごいなと思う。あんなに歌も上手いのになぁ。生で歌聴いたら死んじゃいそうだよね。あの歌声。怖い。もはや。

改めて考えてみると、薄々気づいてはいたけど、僕はいい女とダメな男が好きなようで。。。。

ホント女に生まれてたら、ダメな男に捕まってたろうなってつくづく思う。男に生まれて一安心。

ダメなやつっていうか、ちょっと変な人は性別に関わらず好きになりがちだけどね。

フェミニンな映画が多くなったのは、社会的な問題からなんだろうけど、観てて楽しいし、色んな映画があっていいなぁって思う。

まあでもゴッドファーザーはいい映画だよ。すごい好きだし。うん。こっちはフェミニン関係ないか。

夏はヒーロー映画

久しぶりになんの予定もない日曜日の休み。

午前中は家で映画でも観ようかとか色々考えていたんだけれども、結局何をする気にもならず軽いトレーニングをしながら、ボケーとしていたらいつのまにか朝ごはんを食べることもなく12時を過ぎたので、家を出た。トレーニングだって、システマのDVDでも流しながらやろうと思っていたのに、DVDを用意する気にもならず、だらだらとやった。

日曜日っていうのは皆何をしてるんだろうか。みんな休みだから、一緒に出かける人が多いのか。独り身で、平日休みが多いと、こんなに人がいる中出かける気にもならず、予定を立てる気にもならない。コーヒー飲んだらもう一回本屋寄って帰ろう。そうしよう。

ってか、来週はシステマもお休みか何したらいいんだろうか。はて。

昨日は観たかった「僕のヒーローアカデミア」、「インクレディブルファミリー」の2本を観た。どっちもヒーロー映画で似てる部分もあったけど、そもそものテーマが違うので、飽きることなく楽しめた。

まずは「僕のヒーローアカデミア」から。

どうやらヒロアカって略すらしい。ヒロアカはもともとが漫画なので、マンガのストーリーの1つとして、観ておきたいと思って行ったんだけれども、一本の映画としてとても満足できた。少なくとも、下半期今のところNo. 1。思い入れが強いせいなのか、何回かポロッと涙がこぼれそうになってしまった。正直、今年のNo.2でも良いんではないかと思ってしまうくらいでもあった。

今年のNo. 1は11月公開の「ヴェノム」。観てもいないのにNo. 1確定させてしまうくらいハードルあげているけど、マーベル・ダークユニバースとトム・ハーディなら大丈夫だろうと信じてる。ダークユニバースとして出すらしいので、スパイダーマンとの重なりはないらしい。ちょっと残念でもあるけど、まあしょうがない。今新しい悪役出すわけにもいかないだろうし。出てくるトレイラーが観たさを増長してくる。11月まで待てずに、新しいTシャツを頼んでしまった。早く届いて欲しい。

ヒロアカの話をしよう。ストーリー的には夏休み入ってすぐなので、多分6巻とか7巻の後なんじゃあないかと思う。合宿の前かな。話は夏休み入ってすぐに、オールマイトが昔の親友に会いに行った島(リゾート地)で、デク含む(当たり前)同級生がたまたまプレオープンで揃い、みんなで遊んでいたところヴィランの襲撃に遭うっていうのが、大まかなところ。

ヒロアカ自体がデク少年の成長の物語であると同時に、継承の話でもある。今回の映画では特に継承がトピックだったように思う。当たり前の話ではあるが、人は老い、そして死ぬ。だから遺伝子にしろ、知恵にしろ、力にしろそれを継承する必要がある。

そこで必要以上に失うことを恐れると、アナキンのようにダークサイドに堕ちる。”Fear of loss is the path to the dark side.” なわけである。

ハン・ソロ」を観たので、エピソード1から3までをとりあえず観た。続きも観る予定ではある。IMDb では評価がやけに低いし、僕としても2、3は1の頃の可愛いアナキンがこんな風になるわけないだろと思ってしまい否定的ではあったが、まあ面白かった。そもそも2005年公開で、今から13年も前と考えれば、ろくに物も知らんガキンチョが今の自分(今でもガキンチョだけど)と同じ視点で観られるはずもないわけではあるが。

4から6がヒットしすぎて、ファンの方々が望むものを見せられなかった、思ってたのと違ったという意味では評価が低いのはしょうがないのかもしれない。僕としては、結末が決まってる難しさの中で、3作品であそこまで持っていくのはやっぱりすごいなと思う。正直僕はエピソード1.5を作って少年期のアナキンの修行の日々を描いて欲しいという欲もある。観たい。3.5もいいけど。1.5もやろうよルーカス。

愛しのアナキン。失うことを恐れるあまり、失わないための強大な力を求める、力を手に入れることが目的になってしまい、力への欲求が結果として愛を失わせる。あまりに哀しい。支えてくれる人も周りにはいたのに。

目標のすり替えというのは起こりやすいもので、目標のための努力が、努力のための目標になったり、努力のための努力、練習のための練習になってしまうことがよくある。

ただここで難しいのが、目標のための道筋を決めたがために、遊びの部分が失われやすいというのも事実のように思う。回り道も1つの道なわけである。遊びの部分がないと幅がなくなり、幅がなくなるとつまらなくなる。成果主義にせよなんにせよ、損得勘定でしかものを考えられなくなったら、面白さとかカッコよさがどんどん削られていくわけである。多分結果として損をするし、成果も出ないんじゃあないかな。

「できるけどやらないのと、できないからやらないでは大きく異なる」わけである。

実はエピソード3でもホロリしかけた。最近涙脆いんじゃあないかと心配になる。エピソード3までの悲しみをルーク、ハンソロが救ってくれることを祈る。

ん、レイヤ姫も出るって。ナタリーポートマンから、レイヤ姫が産まれるもんかねとか言ったら、ダメ、絶対!

ナタリーポートマンは綺麗すぎるし、衣装替えすぎ。

ナタリーポートマンの影武者とかすぐにバレそうだよね。

ヒロアカの話してたんだっけか。正直マンガ読んでなかったり、アニメも見てない、前情報ない人が観たらどうかっていうのは分からない。ただ、マンガ読んでて、でも映画館に行くのはなぁなんて考えてる人(昔の僕)がいたら、そういう人は絶対観るべきだと思う。当たり前なのかもだけど、ちょいちょいマンガの中に出てくるネタを映画で入れてみました。みたいなのもあるから、前情報あったほうがいいかもなぁ。6巻くらいならすぐでしょ。なにもこち亀全巻って言ってるわけじゃあないんだからさ。

デクが口が悪くなるタイミングとかも大事だし。それが分かるのは10巻とかだけど。うーん。でも観てから読み始めるっていう手もあるし。

インクレディブルファミリーの話もしようと思ってたけど、今回はここまでにしよう。

なにはともあれ夏はヒーロー映画!

みんなで Let’s plus ultra!

僕のヒーローアカデミアの映画が観たい

自分にとってのヒーローは誰にでもいるものだろうか。ヒーローと言っても、ヒーロー映画に出てくるような、ヴィランと戦うヒーローである必要は必ずしもない。「ダークナイトライジング」でバットマンが「A hero can be anyone.」と言ったように誰でもなり得るヒーロー。(この時のバットマンのセリフはかなりいいので、ぜひ映画を観て確認して頂きたい。僕の好きなセリフ、トップ10に入るかもしれない。)

僕にとっては初代の「スパイダーマン」(トビーマグワイアの)。伴うが読めないくらいの子供時代に観てカッコいいなぁと思い、あの名言は今でも心に刻まれている。去年久しぶりに観たらちょっと親近感の湧く感じになっていた。

僕のヒーローアカデミア」はそんなヒーローに憧れてしまった無個性の男の子の話。「個性」という名の超能力を人類の8割が持つ世界で無個性として生まれた男の子のデク(ニックネーム)。その子があることをキッカケにNo. 1ヒーローから個性を譲渡され、ヒーローへの道を進んで行く話。

正直買う前はそこまで期待してなかったけど、買い始めたら3日で全部、買い読み終えてしまった。アニメ化され映画化されるくらいの人気がある理由がわかる。現代的なダイバーシティも存分に含み(個性っていうくらいだし)、成長の物語でもあり、ヴィランとの戦闘もある。ちゃんと学校の要素もあり、ハマりそうな掛け声もある。そりゃウケるよね。

多様性の話だと、少し「暗殺教室」にもかぶる。「暗殺教室」は先生だけ化け物でそのほかは落ちこぼれのただの中学生だけれども。そう考えると、特殊能力なしでよく書けたなって感じではある。みんな個性(超パワーではない)は強くある。超パワーではないってカッコ書きしたけど、超能力でなくても個性は超パワーなのかもしれないなぁ。と思わされるよな漫画達。

この漫画の好きなところはどんな個性も使いようってことを分かりやすく描いてくれるし、フィジカルの大事さも描いてくれてる(脳筋)。そもそも元No. 1ヒーローがただのフィジカルモンスター。Mr.インクレディブルのお父さんみたいな感じ。(映画楽しみ)

デクもその個性を継承してるから、個性を使うとフィジカルがアップするっていうだけのもの。継承されたばかりなので、力を使いこなせない。100%だと使った部分(パンチなら腕)がひどく壊れる。普通の漫画だと完治するけど、この漫画だと怪我は怪我として扱われる(ここもストーリーに良い影響を与えてる)。もちろん治癒能力持ちもいるにはいるが。いつもすぐに大怪我を負うわけにもいかないので、途中で一部だけ使って自分まで壊すんじゃなくて、全身をフィジカルアップさせる方法を思いつく(フルカウル)。

ここで色々とこの前のダニールセミナーに繋がる。この前のネイティブとセカンドの話っていうのは、もろに「ヒーローアカデミア」からで、漫画だと4歳くらいでみんな個性発動するので、デク以外は自分の一部として個性を自然に使える(ネイティブ)。ただデクは力を継承したばかりなので(セカンド)、どうしても「使う」意識になってしまう。そこをフルカウルで自然な感覚にしようとするわけだが、これって要は身体の構造を作っちゃうってことだよな。と。

ステマだと4大原則がまずあって、テンションが入らない身体にする。もしくは入ってきても全身に散らせるようにする。(入らない身体と別なのかはまだ謎、自分は後者がギリわかるレベル)

月曜だかに復習やった時に、全身から散らしながらだと一部分にテンション溜まらないから、このままコントロールすればいいんじゃあないかと気づいたわけだが。。。自分の身体を整えながら、相手をコントロールするってめっちゃむずい。ていうかずっとはムリ。となると自分の身体の構造を作っとくしかない。で、アメンボや壁、スタティックの大事さに繋がる。

無意識の意識化から意識の無意識化の段階に辿り着いたわけである。まあ、練習は全部そうっちゃ、そうなわけだが。

ネイティブとセカンドの話を思いついてから、野村克也監督のことを思い出す。高校か大学時代にスポーツ問わず監督の考え方を色々と漁ってた。その時にノムさんの本に会ったのだが(ていうかノムさんが最初だろうか?)、ノムさんは超努力な人。はたから見れば超一流な成績を残してはいるのだが、プロの世界の天才(ニアイコールネイティブ)には普通にやっても敵わないと気づき、超二流になる努力をする。そうした努力(努力の方法等は本などを参照ください)を自分がしてきたから、天才には分からない努力の仕方、上手くなり方を知ることができた。そのことが監督としての成功繋がり、野村再生工場とまで呼ばれるようになったわけである。

まあ天才やネイティブには憧れてしまうものではあるが、セカンドだから気づけるものもあるし、「ヒーローアカデミア」では、セカンドを自分で勝ち取ったものとして捉えていて、そういう考え方もあるのかと思った。

ネイティブでもセカンドでも所詮1つの個性でしかないので、それをどう育て生かすのかが大事ってことなのかな。

ところで、システマのワークは広大なので、個性がよく見えて面白い。ワークの中だけに限った話でもないけど。特にインストラクターはそれぞれの個性が見えやすいので、それも1つシステマの面白いところだなぁと思ってみたりもする。

みんな違ってみんないいっていう結論になりそうだけど、それはしたくないので

力isパワーという結論にしておこうと思う(謎)

プルスウルトラ!!

ネイティブとセカンド

東京喰種が終わってしまった。ついに。。

もっとも結末を読みたいと同時に読みたくないと思わせてくれた、最高の漫画の1つである。悲しい。けど、やっぱり最後もとても良い終わり方をして、(伏線の回収もたくさんあったろうに)満足させて頂いた。このような漫画に会えてとても良かった。

話としては、人間と、人間を食べる喰種(グール)がいる世界で、主人公の金木君が事故に会い、グールの臓器を移植されたことから、半分グールになってしまう。グールは人間の食べ物を食べられないので、金木君もグールの世界に落ちていくが、人間としてのアイデンティティも捨て切れず、グールにはグールの世界があることにも気づいていきながら、その葛藤の中でもがき苦しんでいく話。

もがき苦しんでいく話。。。

我ながらもっといい表現はないのかと思うけど、美少年が、もがきながら闇に落ちていくのを見るのはとても好き。映画だと松坂桃李君がユリゴコロ孤狼の血で、そういう部分を見せてくれてとてもありがたかった。

冗談はさておき。

最近は(ってこともないかもしれないが)力を突然与えられる。もしくは突然目覚める系が多いような気がする。

ようはネイティブとしての力ではなく、セカンドランゲージ(ランゲージではないかもしれんが)としての力。

東京喰種もそうだし、僕のヒーローアカデミアなんてのはもろにそう。ジョジョの一部での波紋もそうだし。承太郎はなんか最初から使えちゃうからなー。ちょいと違うかもしれん。ワンピースもそうっちゃそうかな。

力を手に入れてから使いこなすまでの話っていう意味では、ワンピースとかは微妙に違う気がする。承太郎なんか使える前提だし。

結構分類は難しいかもしれない。悟空とかはまだいいけど(最初から尻尾あるし)、ブリーチとか幽遊白書とかみたいに最後に実は親父は能力者でしたー。みたいなのもあるし。

逆にアナキン(今エピソード1観てます)とかハン・ソロとかは昔からパイロットとして生かされていたから、操縦は自然にできる。アナキン坊やのレースはネイティブ感が凄い。レース中の修理する感じとか、自然そのものだものね。あのレースまでと母親との別れまでのくだりだけで、8点台の評価あげられると思うんだけど、やけにみんな評価辛いなーと思う。

ネイティブとセカンドの違いって自然にできるか、使おうとして使うかってところが大きいんだと思う。自分だと英語を喋る時なんて、やっぱり使うっていう意識にならざるを得ない。聞くのはよく聞いてるからまだいいにしても、喋る機会は最近全然ないし、もともと日本語でもあんまり話さないから、余計に喋らない。からやっぱり苦手意識強い。発音も滑舌も良くないし。

ステマネイティブのダニールがこの前まで東京にいたわけだけど、やっぱり差は大きいなと感じた(当たり前だけども)。どうしても自分はシステマを使う(システマを使うっていうのがそもそも不自然だけども)意識になっている。ダニールとしてはそれが自然の状態。自然だからこその強さがある。英語で夢を見るくらいの自然さが欲しい。

ステマは身に付けるものじゃなくて、もともとあるものを使うっていうのが、救いといえば救い。

そういえば2代目ってことでいうと、ダニールってちょっとジョセフっぽいよな。と思ったり。

ミカエルがジョナサンっぽいかは分からない。ジョースター家は短命だから、比較のしようもない。でもジョセフは結構長生きだよな。

ネイティブとセカンドの話に気づいたのは、「僕のヒーローアカデミア」の影響が大きい。それにしても、タイトル長いな。みんななんて呼んでるんだろう。そういえば、8月3日に「ヒーローアカデミア」の映画が公開される。

7月はあんまり観たい映画なかったんだけど、8月は「Mr.インクレディブル」もあるし、「オーシャンズ8」もある。「アントマン」もあってまた楽しみ。

これから「Battle of the Sexes」観るので1回終わります。この後ちょっと「ヒーローアカデミア」の話したいのです。セミナーの振り返りは消化中のため、当分できなさそうです。

ハン・ソロ

ハン・ソロ」を観ました。

もともと、あんまりスターウォーズって観ないんだけど(一応全部見たことはあるはず)、一応最近のは教養として観てます。

ハン・ソロ」はその名の通りハン・ソロの話でエピソード4に至るまでっていうか、その前のハン・ソロの話。エピソード4をいつ観たのかすら覚えてないので、話もろくに覚えていないわけはあるが、サイコロみたいな、正六面体のアクセサリーっていうのは、そっちにも出てくるんだろうか。そうだとしたらすごい伏線の回収の仕方するよね。アベンジャーズみたい。でも、ああいうアクセサリーっていうのはいいよね。僕は身に付けるものが基本あんまり好きじゃあないので、つけないけど。

ハン・ソロ」はあえてなのかスターウォーズらしさみたいなのは少ない。スターウォーズらしさをライトセーバーとフォースに見てるからなんではあるが、あんまり関係なく観ても面白い。むしろスターウォーズファンからすると、あんまり気に入らないっていう意見もあるよう。それが理由だからかはわからないけれど。

ちなみにどれくらいにわかかっていうと、エピソード1が好きっていうくらい。(ファンの間ではあんまり人気ないらしい、IMDbでも評価1番低いし) 単純に子供が好きだから、アナキンが可愛いし、オビワン(ユアン・マクレガー)がカッコいい。なんか記憶に残ってるし。

この前買って読んだ「木根さんの1人でキネマ」っていう漫画で、スターウォーズはどれから観るのが正解か議論をしていて、制作順に4なんじゃって思ったけど、色んな意見があるらしい。1っていうのも分かるけど、映像が3から4でいきなり昔の映像に戻って大丈夫なのかっていう気はする。(ハマる前に昔の映像を見て、はまれなくなる可能性があるっていうのもあるか) 5っていう意見があったのはよく分からない。理由なんて言ってたかしら? 1回目のそのくだりは「フォースの覚醒」の公開前だったから、最新作からみんなでみましょうっていう落とし所で終わったんだけど、今回の「ハン・ソロ」を観てからエピソード4を観るっていうのはありなんじゃあなかろうか。実は自分もまた見直そうかなって思った。

まあ、TSUTAYAに行っても借りないんだけどね。どうしても観たいのが3本あってそれを探してたら、スターウォーズのことは頭から抜けて、そこらへんにあったのを借りてしまった(旧作4本で値引きなので計4本)。

まあ今回も何本観れるかはわからない。今週末はシステマセミナーあるし。セミナーあるから、ちょっとシステマの話でもって思ったんだけど思いの外長くなってしまった。

続けます。

今回のハン・ソロはコソ泥あがりのハンがチューバッカと出会いファルコンを手に入れるまでのお話。コソ泥だった頃の恋人のキーラっていうのがいるんだけど(もしかしてエピソード4とかに出てくる??)、この女性が超がつくほどいい女。まだ劇場でやっているので、どれくらいいい女なのかは是非観ていただきたい。

いい女っていうのは人によって違うとは思うんだけど、とりあえず美人で、仕事ができて、その上プラスアルファの強さがある。プラスアルファの強さっていうのは人それぞれだけど、「イングリッシュ・ペイシェント」でジュリエットビノシュ(僕が1番好きな女優さん)が見送るシーンで見せた笑顔がとても好き。別れになるのが分かってるから、引き止めたいんだけどそれを隠しながらの笑顔。色んな想いが入っていて複雑な表情がいい女感がスゴイ。

エミリア・クラーク(キーラ役)もまだ30過ぎたばっかりなのに、いい素晴らしいいい女感。そのエミリア・クラークの「世界一キライなあなたに」もいい映画(批判も結構あるらしいけど、僕は好き)、特に音楽が良いので、エド・シーランが好きな人は見て欲しいです。この映画のエミリア・クラークの眉毛の動き凄いからそれだけのためにも観て欲しい。

エミリア・クラークはさておき。

張太炎(蒼天の拳)が「いい女とやるのに命の心配なんぞしれられるか」って言ったいい女っていうのはこういう女性のことだと思う。

それにしてもこれくらい吹っ切れたセリフ言ってみたい。まあ言ってみたいセリフっていうのは、ちょっと言うシチュエーションが無かったり、吹っ切れすぎてて言えないだろってものが多い。どうしても。

映画にしろ、漫画にしろセリフっていうのは結構僕の中に残りやすく、いつか言ってみたいなぁとかとかなんとなく心に残ってるのは多く、好きなセリフトップ10みたいなのやってみたいけど、量が多すぎてキツイ。

なんかシチュエーション毎のだったらできるかいな。ベッドシーンで言いたいセリフトップ10とか。

それくらいシチュエーション限ったら、漫画と映画合わせても出来るかもしれないなぁ。

セミナー前にもう1本あげれたら、セミナー前の話。セミナー後になったらセミナーの感想でもあげようかなぁ。

星に願いを

七夕である

七夕は毎年雨か曇ってる気がするけれど実際どうなんだろうか。織姫と彦星は毎年会えているんだろうか。

織姫にはやっぱりtalking to the moon がよく似合う。まああれは遠距離の話って言うよりは、最近別れた男の話だろうけど。In hope you’re on the other side talking to me too. はよく分かる。分かってしまうあたりが、I am a fool to sit aloneではあるんだろうけれど。

織姫については、前々回だかに「日本のヤバい女の子」の話でもしたね。(前々回くらいまで段落をなぜか消しちゃってて、読みにくくなってたことに先ほど気づきました、すいません) だから今年は短冊でも飾ろうかと思ったわけであろう。結局飾ってないのだけど。そもそもなんで短冊飾るんだろうか。遠距離のカップルが一年に一回の再開の日に俺らの願いなんて叶えてくれるわけがないのに。

ヤバい女の子のときに有明の別れの話をした。女性同士の名前のない関係性についての話だったんだけど、これを男同士にすると「君の名前で僕を呼んで」になるんだと思う。

僕の上半期の2018年上半期の2位。LGBTの難しい話をとてもキレイに表現してて、嫌味が全くないこれまた美しい作品。LGBTの世界を勝手に難しくしてるのは、ノーマルというか、普通の人たちの偏見でしかないんだろう。

多分そういう偏見に対して真っ向に向かっていったのが、「ナチュラルウーマン」だったり、「ムーンライト」だったりするんだろうけど、「君の名前で」はちょっと変化球なのかな。そもそも戦いにいってすらないかもしれない。

でもやっぱり劇中にLGBTに対しての偏見に対して悩むシーンもある。でもなんか他人がそれについて否定をしたり、罵ったりみたいなのはない。普通の恋愛として始まって、普通の恋愛として終わる。セックスシーンもあるけど、すごい普通。違和感を全く感じさせない。「だって普通でしょ?」っていう感じ。思春期に恋で悩んだり、反抗期になったり。そういうのと同じ。「だって同じでしょ?」って感じ。

あのハエっていうのは、そういう偏見のことだったりするのかな。

見終わってから聞いてたら気がついたんだけど、「君の名前で」ってOasisの曲の Live Forever に似てる。全体的にも似てるんだけど、特に Maybe you are the same as me. We see things they’ll never see.とか Lately, did you feel the pain in the morning rain. とか。

痛みについては最後に父親がいいことをいう。父親はいつも陽気でちょっとお茶目な感じなんだけど、いきなりいいこと言い始める。冴えないおっさんが突然いい事を言っちゃう結婚式みたいに。

We rip out so much of ourselves to be cured of things faster that we go bankrupt by the age of thirty and have less to offer each time we start with someone new. But to make yourself feel nothing so as not to feel anything - what a waste!

とかね。まあ本当は結構長いんだけど。

まあ愛っていうのは辛いものなんでさぁ。「こんなに悲しいなら。。。こんなに辛いなら。。。愛などいらぬ!」っていっちゃうどこかの帝王もいるわけで。

君の名前で僕を呼んで」の脚本書いてるのが、ジェームス・アイボリー。「日の名残り」の監督さん。「日の名残り」はカズオ・イシグロの小説が元。この前ノーベル取った時に、日本人のっていう話だったけど、日本人にはこの話は書けないよな。出身や血が人を作るか、育ちが人を作るかの違いだよな。どっちがいいっていうのでもないし、どっちが悪いでもないんだけど。ドラゴンボールでもハイブリッドの方が強いしね。

日の名残り」は全く恋愛の要素のない恋愛映画。主演はアンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンアンソニー・ホプキンスが完璧な執事を演じ、完璧すぎるが故に恋に溺れられない。エマ・トンプソンは優秀な部下で、きちんと恋心も抱くけれど、アンソニー・ホプキンスが付け入る隙を与えてはくれない。

それも1つの恋愛の形だと思う。愛するがゆえに、見守る愛もある、わけだし。。

愛っていうのは形がコロコロ変わる。だから掴んでおくことはできないし、心もとなくもなる。でもいつもそばにいる。そう、shape of water なわけで。

優しさとお節介の境目

「ケダモノの子」を観た。(上半期83作目)

周りの人からよく勧められていたのだが、今まで見る機会を失い続け今に至る。そもそも、よほどのことがない限り観たい映画が山のようにあるので、いちいち観たい映画を覚えていられない。

記憶力が絶望的に低いのもある。アメフトのやりすぎで頭を打ちすぎたせいかと思っていたけど、どうやらもともとないものらしい。

もともとないならしょうがない。

ただ面白いもので、ふとした瞬間に思い出したり、何かで話を聞いたりして観てみようってなることがある。でまた忘れる。忘れたことも忘れてしまうので、救いようがない。

なので最近はスマホに写真を撮っていれておく。そうすれば忘れることは少なくなる。

のだが、ツタヤに行った時や、それを実際に観ようとするタイミングでなんか観たくないなってなることも多い。一本しかなければそれを観るけれども、だいたい全部観やしないのに、お得なまとめ借りをしてしまう。

そもそもNetflixに加入しているんだから、そっちで観ればいいのである。でもやらない。TSUTAYAに行きたいから。

特に当てもなくTSUTAYAや本屋をぶらぶらする。本屋をはしごは当たり前。休みの日は4、5店舗行くことだって珍しくない。

でまとめ借りをした中で1番観たかったのを観るとも限らない。その時に観たかったものを観る。なので何を観るかは運次第。縁次第。

どのタイミングでそれを観るのか、これ1つで感じるものが変わってくる。ただ、観る前には戻れない。それが悲しくもあり、好きな部分でもある。

今回も本当は「そして父になる」を観るはずだったのだが、「ケダモノの子」を観てしまった。甥っ子が来ていたので(来月1歳)、なんか暗いの観るのもなと思い、そっちを観た。

観れない。めちゃめちゃ邪魔してくる。掴まり立ちができるようになり、そろそろ掴まらなくても立ちそうな領域に入ってきた赤ん坊である。とてもゆっくり観させてはくれない。

大人しく、甥っ子が帰ってから観た。 ストーリーは母親が亡くなったばかりの反抗期の9歳児が、隣のバケモノの世界に入り込んでしまい、暴れん坊のクマ吉のもとで弟子になって成長して行く話である。

僕の大好きなおじさんと子どもである。(ベストは少女。。)

このクマ吉がまるで三船敏郎である。(菊千代や椿三十郎の) 豪快で不器用。今まで誰かと修行したこともなく、1人で修行を重ねて来た。総士様(神になる前のバケモノの世界を束ねる存在)になるために、エリートとの勝負をしなくてはならない。その勝負の前に現総士様に弟子を取れと言われ、そんなこんなで人間の九太(9歳だったから、ここも椿三十郎っぽさ)を選び、教えようとするんだが、一人で強くなって来たものだから教え方も何も分かりはしない。まるで不器用なクマ吉だが、そこに一歩、九太が近づくことで、いがみ合いながらもお互いに高め合っていく。だが人間は身体が弱い事で心に闇を持っている。九太の心の闇(穴)は9歳の頃の、あの時空いたままになっている。身体は強くなった九太だが、心の穴は塞がらず、それがバケモノの世界に問題を起こす。

っていうのがあらすじ。あらすじにも出て来たけれど、心の闇。もしくは心の穴。アニメなので分かりやすく絵になっているが、これは実際に誰にでもあるものらしい。

二村ヒトシの「すべてはモテるためである」。(べ、べつにモテたくて買ったわけじゃないんだから!)によく書いてある。

たしか、心の穴は親に空けられてしまうもので、どれだけ親がいい人でも空く。ある意味個性にもなるし、コンプレックスにもなるのだが、この穴を埋めるために他の異性を求めてしまうものらしい。ただ、この穴は埋まらないので(埋まったように思うことはあれど)、しっかり自覚しましょう(know yourself)。って事だったと思う。

本をパラパラってめくると傷つくのでやめた。またちゃんと読まなきゃいけないかもしれん。。。

そういえばプライベートの充実とかなんとか。

なんにせよ二村ヒトシの本は面白いので読んでほしい。モテててもモテてなくても。いや、他の本でもいいんだが。「なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか」っていう女性向けのも面白い。

なんでお前読んでんねん、とか言わないで。

不器用な男の話とか親子の話とか師弟の話とか心の穴の話とか、そういったのをアニメで可視化しながら、子どもでも分かりやすいようにまとめててとっても面白かった。

クマ吉は最初親切心を出して頑張るんだけど、それが全く伝わらない。それよりも九太と同じような視点で、いがみ合ってる方が本心が伝わり、心が通じ合う。

まるで誰かさんを見てるよう。

頭でっかちな部分と心がうまく噛み合わなくて、頭で親切にしようと思うとうまくいかない。

それで迷惑がられるくらいなら何もしないでいいやって思ってしまうから、動きが生まれない。

ワンダーでは正しいことと親切な事(Kind)どっちか選ぶときは、親切な方を選びなさい。っていうし、

マーロウは優しくなければ生きてる価値がないっていうし。If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.

(マーロウは読んでない。なんかサンデーかなんかの漫画で読んだ)

このお節介と親切の違いってどこから生まれるんだろうな。もっと優しくできれば、世界はちょっと平和になるかもしれないのに。

余裕かね。

もう少し動こう。動けるうちに。

1つ歳を重ねたので、また少し優しく、もしくはジェントルになれますように。