だらっと和田パン

話が跳んだり跳ねたり行ったり来たり。映画とか、システマとか、漫画とか。ネタバレあります。

カフェオレ

グリーンブック。ようやく観れました。作品賞もROMAが取るのではないかと思っていましたが、観てみたら納得の一作でした。

 

ROMAもおすすめの作品ですが、白黒映画で、時代背景などとも相まって雰囲気が暗めなので、グリーンブックのような明るく、笑えるけど社会問題にもしっかり焦点を当てている。そして事実に基づく話。誰もが楽しめるという部分も含め、作品賞を取っても反論の余地がない作品でした。

 

 

そういえばROMAが劇場公開するそうで、観る前はなんで劇場公開しないんだろうと思っていましたが、観た後は、あの映画は劇場公開しなくてもいいんでなかろうかという思いもありした。特に反対なわけではありませんが。

 

 

そしてついに最後の「午前10時の映画祭10」のラインナップが公開されました。今から非常に楽しみです。スピルバーグの3作品に始まり、バックトゥザフューチャーの3本に終わる全27作品。どれも名作中の名作といって過言ではないと思いますが、僕はそのうちの7作しか観たことがなく、観たことがない名作たちを初めて観るのがスクリーンで、とても幸せだなーと思うわけです。

 

 

と、いうわけでハート・ロッカーの話でもしますか。(どんなわけだ)

ハート・ロッカー。キャサリン・ビグロー監督が女性初のアカデミー監督賞を撮った作品です。最近だとこの監督はデトロイトゼロ・ダーク・サーティーで有名ですね。

 

 

ずっと気になってはいたのですがなかなかタイミングが合わず、最近ふと話に出たのでようやく観ることができました。

 

 

ゼロ・ダーク・サーティーは観ていたので、戦争描写や人物の心情を描くのがうまいのは分かっていましたが、ここまである種の体育会系的な男くさい感じを描けるとは思いませんでした。っていうかむしろ男より上手いんじゃあないか。僕なんか女性の気持ちなんか全然わからんけどなー。とかオスカー監督と比べるのがおこがましいことすら考えてしまいます。ある意味BLっぽいと言えなくもないのかもしれんけど。

 

心理学の先生も結局のところ、どの性別にしても、自分が生きる性別以外のことはわからない、性別の違いを語るときにはそれぞれの性別の方々に話してもらうのが良いとのことを言っていました。そう考えるとやっぱりすごい。

 

そもそもお前は人間の気持ちがよくわかってないと言われればそれまでですが。

 

 

映画に限らず、男性作家の女性の書き方が押し付けっぽい、固定観念に縛られたもののことはよくあるので、そう考えてもすごいなあと思う。もちろん実際の軍人の話であったり、アドバイザーや役者の意見もあるにはあるんだろうけど。

 

 

そしてこの映画のすごいところは、そんな男たちはお互いに敵の見分けがついていない所です。

 

 

主人公のジェレミー・レナーは基地にDVDを売りに来る地元の少年ベッカムと仲良くなり、サッカーをしたりする場面があり、自分の子供かのように(自分が家にいないことへの贖罪の気持ちもあるのかも)優しくします。

 

 

しかし、ある時、作戦中にベッカムが殺されて人間爆弾にされているところを発見し、いつもなら陽気に爆弾処理をするレナーが、この時から戦争に対して考えを持つようになってきて、全くブレない機械のような男が人間の心を取り戻し始めます。

 

 

そして、ベッカムを殺した犯人を見つけるために暴走し、仲間をケガさせ、軍のルールを破り、歯車が狂い始めます。そんな中、基地にDVDを売りに来たベッカムを発見し、自分が敵だと思っていた人と、現地の人を全く区別することができていないのだとわかります。

 

 

そして、そもそものテーマになっている爆弾処理班という武器を無力化するという、戦争自体への否定をする存在も、現地の人からしたら敵であり、石を投げる存在に見えているわけです。

 

 

これは自分たちが見ているあやふやな情報をもとに相手を判断しているということがわかります。

 

 

人種差別はまさにここから始まっているのではと思います。

 

グリーンブックの二人組は白人と黒人です。

 

CMで使われていた言葉で、”If I’m not *black* enough and if I’m not *white*enough, then tell me, Tony, what am I? 「黒人でも白人でもなければおれはいったい何者なんだ?」

ピアニストとして黒人ながら高い地位でいるも、バーで飲むことも招待されたホールに付属のレストランに入ることもできない。白人からも差別され、地域の黒人からはお高くとまりやがってと差別されます。

 

 

トニーも見た目は白人ながら、イタリア人なので半分黒人だと差別され、スラム街のようなところで腕っぷしと、でまかせでのし上がってきたので、逆にホールの中に入れない黒人とは仲良くギャンブルできても、ホールの中の白人からは下に見られます。

 

 

お互いに居場所がないのです。そんな二人が旅を続けていく中で、歩み寄り、清濁併せもつようになっていくところに人間の成長と可能性を感じるのでした。

 

 

肌の色に限らず、白黒つけられるもの、正解、不正解で分けられるものはほとんどないので、基本的には白黒つけないカフェオーレがちょうどよいのではないのかなと思います。味は飲んでみてから判断すればいいのだから。

 

 

コーヒーはブラック派ですけれど。

 

それにしてもバディムービーというのはやっぱりいいですね。いろんなものを超えていく。