許されざるもの
最近似通った題材の映画を観ることが多くある。
正義の執行である。
特にイーストウッドはこの題材を昔から扱っていて、人が人を裁くことは正しいのかを問いかけてくる。答えのない問いかけ。だからこそ、常に問いかけ続けなければいけない。
“許されざるもの” 、“ダーティー・ハリー”、 “イコライザー2”、そして“ブレイン・ゲーム”。
それぞれ違った角度からの問いかけではあるものの、1番大きな問いかけは同じように感じた。
“許されざるもの”では昔は凶悪な殺し屋、賞金稼ぎだったイーストウッドが、ある女性と結婚し、改心する。2人の子供ができるが、その女性は死んでしまいイーストウッドはヨボヨボのおっさんとして登場する。賞金を目当てに、娼婦の顔に傷をつけたカウボーイを殺しに行くが、久々に握った銃は的外れで、馬にはろくに乗ることもできない。どうにかこうにか元相棒のモーガン・フリーマンと、話を持ってきたキッドと町に辿り着く。
この映画では人間の二面性を暴いていく。悪いやつだと思ってたカウボーイは、そんなに悪いやつではなかったし、良い人だと思ってた保安官は実は独裁者だった。銃の名手のモーガン・フリーマンは1発撃ったら怖じ気付いて帰っちゃうし、ヨボヨボのおっさんのイーストウッドは酒を飲んだら人間を超え、撃ち殺しまくる。
最後のシーンではヨボヨボだったイーストウッドが酒を飲んだだけで最強のガンマンへと変身する。
カンが戻ったというレベルではなく、変身する。
野暮な説明は映画の中ではしてくれないが、これは紛れもなく人間から上位への変身である。
“ダーティー・ハリー”では分かりやすく、十字架が何度もイーストウッドの後ろに出てきて、イーストウッドは神の代理人なのだと分かる。ゾディアック事件のサイコパスを描いたこの映画では、法の正しさから見つめ直させられる。
ある意味ではバットマンもダーティー・ハリーのような存在である。警察が捕まえられず、法が裁けない悪人たちを捕まえるのがバットマン。撃ち殺すのがダーティー・ハリー。ダーティー・ハリーは一応警察なのにバットマンよりひどい制裁をかます。鹿を殺すためのマグナムで人を撃つ。どんな警官だよ。
まあバットマンもジョーカーが何度も病院から出てきちゃうから、コミックでは首絞めて殺してしまったらしい。その時の大統領のレーガンがバットマンを倒すために派遣したのがスーパーマンだとかなんとか。
十字架の話でいうと、“ブレイン・ゲーム”では、それこそ何回も十字架が出てくる。そこまで出さなくてもいい加減わかるよってくらい出てくる。
“ブレイン・ゲーム”の場合は正義の執行によって悪人を倒すというより、慈愛によっての殺人は許されるのかっていうのが大きなテーマにあった。“ブレイン・ゲーム”の場合はスーパーパワーが元々あるから、神の代理人(きどり)っていうのはわかりやすい。
最新作は“イコライザー2”。正直にいうと、1を観てないのでイコライザーが凄腕のエージェントっていう設定以外はよくわからない。
元々イコライザーは凄腕のエージェントだから、自分の実力でどんどん執行していくんだけど、最後に神風が吹く。
Kamikaze
エミネムの最新アルバムの名前もKamikaze 。神風って英語でも通じるんだなって思った。ひきこもりや痴漢のように。少なくともKamikaze はエミネムによって全世界に知られることになった。
人は皆良い面も悪い面を持っている。
フレディに光と闇があるように、誰にでも光の強さや種類は違えど、光もあれば闇もある。
アダムとイヴが林檎を食べた時から人間は罪を背負い続けている。
では許されざるものとは誰のことなのか。
答えの一端は“許されざるもの”の中にある。
ただイーストウッドは答えを丸ごとを言うようなことはしない。
ただ問いかけを残していく。