だらっと和田パン

話が跳んだり跳ねたり行ったり来たり。映画とか、システマとか、漫画とか。ネタバレあります。

I’m tryin’ real hard to be the shepherd

3月8日は国際女性デー。だからというわけではなかったのだが、「82年生まれ、キム・ジヨン」を読了した。

 

何とも言えない。何とも言えないのは面白かったとかそういうレベルで片付けられる話ではないからである。


話は82年生まれのキム・ジヨン氏が出産後の鬱により他人の人格が乗り移るようになり、カウンセラーのところへ通うようになる。そのカウンセリングの記録形式で、82年に生まれたキム・ジヨン氏の人生を赤裸々に振り返る。その中で語られるキム・ジヨン氏の人生というのはありきたりな一人の女性人生として描かれているが、ありきたりな女性の人生がいかにハードなのかということを表している。

 

 

僕にとって韓国というのはかなり身近な存在で、もともと韓国ドラマをよく見る家庭に育ったので、韓国の文化については割と知っている。好きな恋愛映画歴代1位はいまだに「猟奇的な彼女」。「猟奇的な彼女」が直訳なのかどうかはよくわからないが、僕的には韓国の女性は結構気が強い女性イメージがあり、僕自身の昔の彼女もあんな感じだったので、別に猟奇的でもないんじゃあないかと思っている。

 

ある意味韓国人女性に対するステレオタイプといえるが、日本人女性に対する、3歩後ろをついて歩くというものよりかは、よっぽど当てはまっているような気がする。ステレオタイプなんて時代とともに変わるもの。

 

さらっと触れてみたが、僕の昔の彼女は韓国人でニューヨークにいた時に知り合った。あまり長い期間付き合っていなかったので、僕の韓国語はあまり上達しなかったが、韓国の文化や韓国の映画には多く触れさせていただいた。というか、何を隠そう僕の映画好きは彼女の影響なのである。そう考えると、人との出会い、一期一会、一人の人間が他人に与える影響は思いの外大きいのではないかと思い、いいかげんに生きてはいけないなあと思ってみたりする。


「82年生まれキム・ジヨン」で描かれる女性は大きく3パターン。おばあちゃん、お母さん、そしてキム・ジヨン氏である。


おばあちゃんはザ・男尊女卑社会に生まれ育ってきたため、絶対的に男を立てていこうとする。それがたとえ自分の孫であっても自分の考えを突き通し、孫にまでその考え方を押し付ける。


お母さんはそういう考え方がはびこる社会での抑圧を受け、自分たちの子供たちにはそういう思いをさせたくないと常に考えており、どんなに景気が悪く旦那が失業しても、自分たちの力で娘たちにはちゃんと大学まで行かせてやろうと苦心する。


そして、キム・ジヨン氏の代である。これはおよそ現代の日本の女性と同じようなものだと思われる。ただ、キム・ジヨン氏が大学へ行き、就職するころの韓国はかなり景気が悪かったようで、そのあたりの就職難な部分も同世代の自分としては分かる部分があるように思える。


だが、しょせん分かったように思えるとしか言えないのである。


なぜなら僕は男性だからである。


フェミニン映画もよく見るし、女性作家のエッセイや小説、ハリウッド女優のインタビューも読み、フェミニンの記事を読むように努力している。かなりフェミニンよりの考え方を持っている(と思っていた)自分もこの本を読んで打ちのめされた。


全然わかってなかったなあと思うし、自分の無知さを呪うばかりである。

というか現代の男性はどれくらい理解しているのだろうか。多数が理解できていれば、そもそもフェミニストが生まれる必要もなかったのだから、男女間での理解のギャップは思いの外大きいのではないかと思われる。

 

この本の中にもあるのだが、OECD加盟国中、男女の賃金格差のワースト1位が韓国である、日本は3位である。隣国で近い分政治的には争っているようであるが、内情としては似たり寄ったりなのではないだろうか。向こうはすでに女性大統領が出てるっていうのはあるけれども。

 

賃金の問題はMetoo運動の中でも盛んに取り上げられていているし、あれだけ煌びやかに見えるハリウッドの世界からMetoo運動始まるのだから、順位に関係なく、大きな問題としてとらえなければならないのだろう。賃金に限らず。
最近のハリウッド女優の記事では必ずと言っていいほど、フェミニズムの話が取り上げられている。

そして、多くの女優は映画の多くの女性像は男性の理想像であることが多く、女性の監督、脚本化、俳優の数が増えてくればより現実的な女性像を描くことができるのではないかと考えている。

 

内面のセクシュアリティにかかわらず、男性である以上女性は意識するし、女性にも意識される。女性が夜道で後ろを男性に歩かれたとしたら、たとえ僕のように体の小さい人でもそれなりに意識するだろう。というか僕も夜道で人が歩いていたら警戒するけど。

 

結構努力していたつもりだったんだけれどなぁという感じである。
なんとも I’m tryin’ real hard to be the shepherd.(羊飼いになろうと本気で努力してる)と改めて思い直す次第であった。(このセリフわかる人いるかしら???)


結構古い映画に出てくるセリフで、最近見直したときに妙に気になってしまい、ずっと心に引っかかっているセリフである。


これから入る新世界にはフェミニン色の覇気はほぼ必須といえる。


イーストブルーにいた間は覇気なしでもどうにかなるが、新世界では標準装備と言えるだろう。鎖国と差別が好きな国がどう変わっていくのかは興味があるところではあるが、はたして国際基準に乗っていけるだろうか?? 
時代遅れになりつつある、テレビ業界がいまだにあれだけの力を持っているというのも不思議であるが、20年後今の小さい子たちが大人になるころにはさらなる加速度でいろいろなことが変わっていってしまうだろう。


覇王色の覇気でももっていればいいのだろうけど、ないものにあこがれずにできることを地道にやっていく。

アカギの言うように、「責任をとる道は、もっと地味でまっとうな道」なのである。