優しさとお節介の境目
「ケダモノの子」を観た。(上半期83作目)
周りの人からよく勧められていたのだが、今まで見る機会を失い続け今に至る。そもそも、よほどのことがない限り観たい映画が山のようにあるので、いちいち観たい映画を覚えていられない。
記憶力が絶望的に低いのもある。アメフトのやりすぎで頭を打ちすぎたせいかと思っていたけど、どうやらもともとないものらしい。
もともとないならしょうがない。
ただ面白いもので、ふとした瞬間に思い出したり、何かで話を聞いたりして観てみようってなることがある。でまた忘れる。忘れたことも忘れてしまうので、救いようがない。
なので最近はスマホに写真を撮っていれておく。そうすれば忘れることは少なくなる。
のだが、ツタヤに行った時や、それを実際に観ようとするタイミングでなんか観たくないなってなることも多い。一本しかなければそれを観るけれども、だいたい全部観やしないのに、お得なまとめ借りをしてしまう。
そもそもNetflixに加入しているんだから、そっちで観ればいいのである。でもやらない。TSUTAYAに行きたいから。
特に当てもなくTSUTAYAや本屋をぶらぶらする。本屋をはしごは当たり前。休みの日は4、5店舗行くことだって珍しくない。
でまとめ借りをした中で1番観たかったのを観るとも限らない。その時に観たかったものを観る。なので何を観るかは運次第。縁次第。
どのタイミングでそれを観るのか、これ1つで感じるものが変わってくる。ただ、観る前には戻れない。それが悲しくもあり、好きな部分でもある。
今回も本当は「そして父になる」を観るはずだったのだが、「ケダモノの子」を観てしまった。甥っ子が来ていたので(来月1歳)、なんか暗いの観るのもなと思い、そっちを観た。
観れない。めちゃめちゃ邪魔してくる。掴まり立ちができるようになり、そろそろ掴まらなくても立ちそうな領域に入ってきた赤ん坊である。とてもゆっくり観させてはくれない。
大人しく、甥っ子が帰ってから観た。 ストーリーは母親が亡くなったばかりの反抗期の9歳児が、隣のバケモノの世界に入り込んでしまい、暴れん坊のクマ吉のもとで弟子になって成長して行く話である。
僕の大好きなおじさんと子どもである。(ベストは少女。。)
このクマ吉がまるで三船敏郎である。(菊千代や椿三十郎の) 豪快で不器用。今まで誰かと修行したこともなく、1人で修行を重ねて来た。総士様(神になる前のバケモノの世界を束ねる存在)になるために、エリートとの勝負をしなくてはならない。その勝負の前に現総士様に弟子を取れと言われ、そんなこんなで人間の九太(9歳だったから、ここも椿三十郎っぽさ)を選び、教えようとするんだが、一人で強くなって来たものだから教え方も何も分かりはしない。まるで不器用なクマ吉だが、そこに一歩、九太が近づくことで、いがみ合いながらもお互いに高め合っていく。だが人間は身体が弱い事で心に闇を持っている。九太の心の闇(穴)は9歳の頃の、あの時空いたままになっている。身体は強くなった九太だが、心の穴は塞がらず、それがバケモノの世界に問題を起こす。
っていうのがあらすじ。あらすじにも出て来たけれど、心の闇。もしくは心の穴。アニメなので分かりやすく絵になっているが、これは実際に誰にでもあるものらしい。
二村ヒトシの「すべてはモテるためである」。(べ、べつにモテたくて買ったわけじゃないんだから!)によく書いてある。
たしか、心の穴は親に空けられてしまうもので、どれだけ親がいい人でも空く。ある意味個性にもなるし、コンプレックスにもなるのだが、この穴を埋めるために他の異性を求めてしまうものらしい。ただ、この穴は埋まらないので(埋まったように思うことはあれど)、しっかり自覚しましょう(know yourself)。って事だったと思う。
本をパラパラってめくると傷つくのでやめた。またちゃんと読まなきゃいけないかもしれん。。。
そういえばプライベートの充実とかなんとか。
なんにせよ二村ヒトシの本は面白いので読んでほしい。モテててもモテてなくても。いや、他の本でもいいんだが。「なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか」っていう女性向けのも面白い。
なんでお前読んでんねん、とか言わないで。
不器用な男の話とか親子の話とか師弟の話とか心の穴の話とか、そういったのをアニメで可視化しながら、子どもでも分かりやすいようにまとめててとっても面白かった。
クマ吉は最初親切心を出して頑張るんだけど、それが全く伝わらない。それよりも九太と同じような視点で、いがみ合ってる方が本心が伝わり、心が通じ合う。
まるで誰かさんを見てるよう。
頭でっかちな部分と心がうまく噛み合わなくて、頭で親切にしようと思うとうまくいかない。
それで迷惑がられるくらいなら何もしないでいいやって思ってしまうから、動きが生まれない。
ワンダーでは正しいことと親切な事(Kind)どっちか選ぶときは、親切な方を選びなさい。っていうし、
マーロウは優しくなければ生きてる価値がないっていうし。If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
(マーロウは読んでない。なんかサンデーかなんかの漫画で読んだ)
このお節介と親切の違いってどこから生まれるんだろうな。もっと優しくできれば、世界はちょっと平和になるかもしれないのに。
余裕かね。
もう少し動こう。動けるうちに。
1つ歳を重ねたので、また少し優しく、もしくはジェントルになれますように。
ヤバイ女
上半期
欲しいものを探す旅
トラウマ恋愛映画
これからの家族の話をしよう
本質は変わらない?
ついに7人の侍を観た。
10時開始で13時40分終わり。10分間の休憩と最初の宣伝も込みだけど、それにしても長い。正直終わる時間見て尻込みしかけた。
ただ、実際には観てて全く飽きのこない4時間だった。もっと高尚で、僕なんかが観ても分かんないんじゃあないかと思ってたけど、そんな気持ちがあったことすら忘れて楽しんでしまった。随所に出てくるギャグも今見ても面白くて、ついつい笑ってしまう。かなり昔の映画のはずなのに(1954)、いまだに変わらぬ人の本質がよく見て取れる。スクリーンで観れてよかった。
前回おじさんと少女の映画の話をしたせいか、子供欲しいなぁと思ったりしてるこの頃。結構な頻度でこの話題は、自分の中に出てきては忘れる、の繰り返しだったりする。前回のは自分の遺伝子を継いでない子の話(例外あり)だったんだけど、そこには自分の血を分けることへの恐怖があったりするのかなと考えてしまった。
自分の子を育てるっていうのが、当たり前なのだろうけど、「血が繋がってなかったら、余計な期待をしなくてもいいものね」ってある映画のセリフにもあるように、あえてそこに突っ込む意義はあると思う。
血の繋がりの僕の1番の恐怖であり興味は、自分の何が伝わるかなっていう部分。遺伝子的に。
運動神経なのか、運動能力なのか。学術的な分け方は知らないけど、僕の分け方は先天的な能力が運動神経で、後天的なのが運動能力。
心配なのは、頑張って運動能力はあげたけど、元々の悪い運動神経が伝わったら、子供が可哀想だなってこと。
大学の2年生くらいからの僕しか知らない人には驚かれたりもするけど、僕の運動神経はめちゃめちゃ悪い。
小ちゃい頃の僕は、キャッチボールをしては、頭にボールをぶつけておんぶされて帰ったり、サッカーをしては足の指の骨を折ったりと。。。親には「この子はスポーツしちゃいけない子なんだなって思ってた」って言われたこともある。
今振り返ってみると、ただ力の使い方を知らなかっただけだなって思っちゃうな。。その頃は小さかったから、自分の弱さを呪ったし、だからこそ高校くらいから筋トレとかもろもろやって、フィジカル強くして、強くなったふりをして。。。
システマやり始めてから、昔のこと、特に小学生とかそれくらいの記憶がふと戻ってきたりする。これは身体に残ってたやつ(多分トラウマ)なのかなって思ってる。そう考えると、結局今の自分っていうのは、本質的には小さい頃の弱い自分のままで、それを守るチンパンジーが強くなってるだけなのよね。
いまだにそのトラウマを克服できないし。
今はしなくてもいいのかなって思ったりもするけど。
なんかムーンライト(去年のアカデミー賞)を思い出すな。
そんなこと考え過ぎると、子供にも本質しか伝わらない気がして怖くなったりする。
子供の才能は遺伝子の部分半分と環境の部分半分ってこともある程度理解してるけど。
っていうか、運動神経が低かったら可哀想だなって思ってるから、そうあってもいいようにいろんな身体の使い方勉強してたりするし、そこらへんの人よりは分かるから大丈夫だろくらいに、本当は思ってる。
低身長なのはしょうがないかな。。。
そもそもパートナーいなかったらできるもんもできないんだから、全部杞憂なんだよね。。。
まずそこから頑張りましょう。
プライベートの充実を。。。
ってか、みんな今年の抱負の話ってしたのかなぁ。覚えてないのか、その場にいなかったのか。
趣味に時間取られすぎで、プライベートの時間がそもそも取れないよね。(言い訳)
でも7月の連休ももう楽しみあるし(逃げ)
どうしよっかなー(突然の中邑)
続く(うそ)