星に願いを
七夕である
七夕は毎年雨か曇ってる気がするけれど実際どうなんだろうか。織姫と彦星は毎年会えているんだろうか。
織姫にはやっぱりtalking to the moon がよく似合う。まああれは遠距離の話って言うよりは、最近別れた男の話だろうけど。In hope you’re on the other side talking to me too. はよく分かる。分かってしまうあたりが、I am a fool to sit aloneではあるんだろうけれど。
織姫については、前々回だかに「日本のヤバい女の子」の話でもしたね。(前々回くらいまで段落をなぜか消しちゃってて、読みにくくなってたことに先ほど気づきました、すいません) だから今年は短冊でも飾ろうかと思ったわけであろう。結局飾ってないのだけど。そもそもなんで短冊飾るんだろうか。遠距離のカップルが一年に一回の再開の日に俺らの願いなんて叶えてくれるわけがないのに。
ヤバい女の子のときに有明の別れの話をした。女性同士の名前のない関係性についての話だったんだけど、これを男同士にすると「君の名前で僕を呼んで」になるんだと思う。
僕の上半期の2018年上半期の2位。LGBTの難しい話をとてもキレイに表現してて、嫌味が全くないこれまた美しい作品。LGBTの世界を勝手に難しくしてるのは、ノーマルというか、普通の人たちの偏見でしかないんだろう。
多分そういう偏見に対して真っ向に向かっていったのが、「ナチュラルウーマン」だったり、「ムーンライト」だったりするんだろうけど、「君の名前で」はちょっと変化球なのかな。そもそも戦いにいってすらないかもしれない。
でもやっぱり劇中にLGBTに対しての偏見に対して悩むシーンもある。でもなんか他人がそれについて否定をしたり、罵ったりみたいなのはない。普通の恋愛として始まって、普通の恋愛として終わる。セックスシーンもあるけど、すごい普通。違和感を全く感じさせない。「だって普通でしょ?」っていう感じ。思春期に恋で悩んだり、反抗期になったり。そういうのと同じ。「だって同じでしょ?」って感じ。
あのハエっていうのは、そういう偏見のことだったりするのかな。
見終わってから聞いてたら気がついたんだけど、「君の名前で」ってOasisの曲の Live Forever に似てる。全体的にも似てるんだけど、特に Maybe you are the same as me. We see things they’ll never see.とか Lately, did you feel the pain in the morning rain. とか。
痛みについては最後に父親がいいことをいう。父親はいつも陽気でちょっとお茶目な感じなんだけど、いきなりいいこと言い始める。冴えないおっさんが突然いい事を言っちゃう結婚式みたいに。
We rip out so much of ourselves to be cured of things faster that we go bankrupt by the age of thirty and have less to offer each time we start with someone new. But to make yourself feel nothing so as not to feel anything - what a waste!
とかね。まあ本当は結構長いんだけど。
まあ愛っていうのは辛いものなんでさぁ。「こんなに悲しいなら。。。こんなに辛いなら。。。愛などいらぬ!」っていっちゃうどこかの帝王もいるわけで。
「君の名前で僕を呼んで」の脚本書いてるのが、ジェームス・アイボリー。「日の名残り」の監督さん。「日の名残り」はカズオ・イシグロの小説が元。この前ノーベル取った時に、日本人のっていう話だったけど、日本人にはこの話は書けないよな。出身や血が人を作るか、育ちが人を作るかの違いだよな。どっちがいいっていうのでもないし、どっちが悪いでもないんだけど。ドラゴンボールでもハイブリッドの方が強いしね。
「日の名残り」は全く恋愛の要素のない恋愛映画。主演はアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン。アンソニー・ホプキンスが完璧な執事を演じ、完璧すぎるが故に恋に溺れられない。エマ・トンプソンは優秀な部下で、きちんと恋心も抱くけれど、アンソニー・ホプキンスが付け入る隙を与えてはくれない。
それも1つの恋愛の形だと思う。愛するがゆえに、見守る愛もある、わけだし。。
愛っていうのは形がコロコロ変わる。だから掴んでおくことはできないし、心もとなくもなる。でもいつもそばにいる。そう、shape of water なわけで。
優しさとお節介の境目
「ケダモノの子」を観た。(上半期83作目)
周りの人からよく勧められていたのだが、今まで見る機会を失い続け今に至る。そもそも、よほどのことがない限り観たい映画が山のようにあるので、いちいち観たい映画を覚えていられない。
記憶力が絶望的に低いのもある。アメフトのやりすぎで頭を打ちすぎたせいかと思っていたけど、どうやらもともとないものらしい。
もともとないならしょうがない。
ただ面白いもので、ふとした瞬間に思い出したり、何かで話を聞いたりして観てみようってなることがある。でまた忘れる。忘れたことも忘れてしまうので、救いようがない。
なので最近はスマホに写真を撮っていれておく。そうすれば忘れることは少なくなる。
のだが、ツタヤに行った時や、それを実際に観ようとするタイミングでなんか観たくないなってなることも多い。一本しかなければそれを観るけれども、だいたい全部観やしないのに、お得なまとめ借りをしてしまう。
そもそもNetflixに加入しているんだから、そっちで観ればいいのである。でもやらない。TSUTAYAに行きたいから。
特に当てもなくTSUTAYAや本屋をぶらぶらする。本屋をはしごは当たり前。休みの日は4、5店舗行くことだって珍しくない。
でまとめ借りをした中で1番観たかったのを観るとも限らない。その時に観たかったものを観る。なので何を観るかは運次第。縁次第。
どのタイミングでそれを観るのか、これ1つで感じるものが変わってくる。ただ、観る前には戻れない。それが悲しくもあり、好きな部分でもある。
今回も本当は「そして父になる」を観るはずだったのだが、「ケダモノの子」を観てしまった。甥っ子が来ていたので(来月1歳)、なんか暗いの観るのもなと思い、そっちを観た。
観れない。めちゃめちゃ邪魔してくる。掴まり立ちができるようになり、そろそろ掴まらなくても立ちそうな領域に入ってきた赤ん坊である。とてもゆっくり観させてはくれない。
大人しく、甥っ子が帰ってから観た。 ストーリーは母親が亡くなったばかりの反抗期の9歳児が、隣のバケモノの世界に入り込んでしまい、暴れん坊のクマ吉のもとで弟子になって成長して行く話である。
僕の大好きなおじさんと子どもである。(ベストは少女。。)
このクマ吉がまるで三船敏郎である。(菊千代や椿三十郎の) 豪快で不器用。今まで誰かと修行したこともなく、1人で修行を重ねて来た。総士様(神になる前のバケモノの世界を束ねる存在)になるために、エリートとの勝負をしなくてはならない。その勝負の前に現総士様に弟子を取れと言われ、そんなこんなで人間の九太(9歳だったから、ここも椿三十郎っぽさ)を選び、教えようとするんだが、一人で強くなって来たものだから教え方も何も分かりはしない。まるで不器用なクマ吉だが、そこに一歩、九太が近づくことで、いがみ合いながらもお互いに高め合っていく。だが人間は身体が弱い事で心に闇を持っている。九太の心の闇(穴)は9歳の頃の、あの時空いたままになっている。身体は強くなった九太だが、心の穴は塞がらず、それがバケモノの世界に問題を起こす。
っていうのがあらすじ。あらすじにも出て来たけれど、心の闇。もしくは心の穴。アニメなので分かりやすく絵になっているが、これは実際に誰にでもあるものらしい。
二村ヒトシの「すべてはモテるためである」。(べ、べつにモテたくて買ったわけじゃないんだから!)によく書いてある。
たしか、心の穴は親に空けられてしまうもので、どれだけ親がいい人でも空く。ある意味個性にもなるし、コンプレックスにもなるのだが、この穴を埋めるために他の異性を求めてしまうものらしい。ただ、この穴は埋まらないので(埋まったように思うことはあれど)、しっかり自覚しましょう(know yourself)。って事だったと思う。
本をパラパラってめくると傷つくのでやめた。またちゃんと読まなきゃいけないかもしれん。。。
そういえばプライベートの充実とかなんとか。
なんにせよ二村ヒトシの本は面白いので読んでほしい。モテててもモテてなくても。いや、他の本でもいいんだが。「なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか」っていう女性向けのも面白い。
なんでお前読んでんねん、とか言わないで。
不器用な男の話とか親子の話とか師弟の話とか心の穴の話とか、そういったのをアニメで可視化しながら、子どもでも分かりやすいようにまとめててとっても面白かった。
クマ吉は最初親切心を出して頑張るんだけど、それが全く伝わらない。それよりも九太と同じような視点で、いがみ合ってる方が本心が伝わり、心が通じ合う。
まるで誰かさんを見てるよう。
頭でっかちな部分と心がうまく噛み合わなくて、頭で親切にしようと思うとうまくいかない。
それで迷惑がられるくらいなら何もしないでいいやって思ってしまうから、動きが生まれない。
ワンダーでは正しいことと親切な事(Kind)どっちか選ぶときは、親切な方を選びなさい。っていうし、
マーロウは優しくなければ生きてる価値がないっていうし。If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
(マーロウは読んでない。なんかサンデーかなんかの漫画で読んだ)
このお節介と親切の違いってどこから生まれるんだろうな。もっと優しくできれば、世界はちょっと平和になるかもしれないのに。
余裕かね。
もう少し動こう。動けるうちに。
1つ歳を重ねたので、また少し優しく、もしくはジェントルになれますように。